古くて新しい大学出版
オックスフォード大学出版局(OUP)


川脇達郎



 大学設立の正確な年号記録はないが、オックスフォードにその原型ができたのは、ヘンリー2世とフランスのフィリップ2世との間の争いにより、パリ大学の英国人学生が追放されこの地に集まってきた12世紀後期と言われている。初代Chancellor(総長)になったのは学者で修道士のロバート・グローステストである(1224年)。その頃オックスフォードには4つの学寮、すなわちユニヴァーシティ・カレッジ、ベリオル、マートン、ダラムが設立されていた(現在は39の学寮からなっている)が、当時はもっぱら聖職者のための神学と哲学が研究されていた。4つの教会と、4派の修道士会が存在していたが、これらは1538年にすべて離散した。1517年の宗教改革によるものである。

 初期のOUP

 すでに1215年頃には大学で書籍を作る人々がいた。文房具(紙、インキ、筆など)で筆写する人、書籍を製本する人たちで、それらの道具は大学が用意していた。1478年にはドイツのケルンから最新の印刷技術を携えてオックスフォードにやって来た人物がいて、これが出版局の始めとなった。十二使徒信条や基礎的な学術書、オックスフォードで編纂した文法書が印刷された。しかしこれは私人による事業だったようで、経済的に破綻を来した。結局、1584年に大学が会議を開き、理事会の前身母体が結成されるのを待つことになる。これが1633年にはDelegate(理事会)となり現在も続いている。出版局は大学と同じくChancellor(総長)、Maters(学察長)、Scholas(学者)の所有となり、現在でも重要な事項、つまり、(1)何を出版するか、(2)出版局の運営をどうするかが、この会議で決められている。これは年度学期中8回ほど開催されている。1586年には星法院(1641年まで)から出版許可を受け、このとき多くの本が印刷された。ギリシャ語の書籍(1586年)、ヘブライ語の書籍(1596年)、ボードリアン図書館初の蔵書目録(1605年)などであり、いまでも古書籍収集家の垂涎の的となっている。

 聖書で繁栄の基礎を築く

 17世紀中期の内乱により、チャールズ1世の王宮がオックスフォードにおかれ、大学の印刷所で王党派の出版物や布告が印刷された。記録によれば、この時期はほとんど学術出版に奇与しなかった。17世紀後期にはジョン・フェル博士(キリスト教会の主席司祭で後にオックスフォード教区の主教になった人、FellTypeとしても有名)が運営管理に参加した。これがOUPの真の歴史の始まりと言われている。彼はクォート判英語聖書の出版について、王室印刷所や書籍出版協同組合と長い交渉をつづけた。その結果、オックスフォード聖書と祈祷書については、特許状によりなかば独占的な出版権を取得。その後、学術出版を進めて行くうえでの重要な布石となった。
 こうして、学術出版からはまたもや一時遠ざかることになるのだが、18世紀には聖書の印刷所として大成功をおさめ、ロンドンには聖書専用の倉庫が造られるほどであった。1896年には聖書を販売するため、米国の拠点としてニューヨークに支店が設立され、1909年には米国初のスコフィールド聖書が出版される。宗教書以外の出版に手をつけたのは1920年になってからである。

 新たなる役割

 現在ではプレスといえば報道機関や出版社そのものを示すが、その名の通り本来の中心機能は印刷所であった。草創期より事業の中心であったOUPの印刷所も、数回の移転を経て、それ自体は1989年に閉鎖してしまった。歴史的役割を終えたのである。
 OUPは現在、世界各地に16の支店をもっている。それぞれの支店の立場で理事会の許可を得て、本社・支社の出版物の販売と同時にその地に合った出版活動を行っている。東京支店は1957年に代理店から始まり、1966年には日銀・文部省・通産省の許可を得て大学100パーセント出資による支店となった。最も新しい支店はスペイン(1992年)であり、各支店とも英語教育教材需要との相乗効果で大変な成功をおさめている。

 最近の状況など

 手元にある最新の資料から、いくつかの興味あるデータをあげてみたい。まず出版点数であるが、1997年の資料によると、この年は4517点が出版された。そのうち文学、社会科学、物理、化学、医療、音楽、芸術の他、雑誌、一般教養書も含む学術関連は、英国・米国で2414点、海外支社で383点が出版された。
 一方、小中学校の教材、児童書を含む学校書籍は、英国・米国で428点、海外支社で848点であるが、海外支店の点数中には英語教育教材が大きなウエイトを占める。先にも触れたが、英語教育教材は今後も大いに点数を伸ばしそうな気配である。
 売上は1998年に約2億9000万英ポンドに達しているが(1英ポンドはざっと170円)、その地域別構成比は概ね英国5:米国8:欧州6:アジア5:その他2となっている。同じ年の従業員数は、英国1377人、その他2402人の計3779人に上る。
 ケンブリッジ大学出版局(CUP)が1976年に免税となって以降、OUPも英国で同じ待遇を受けることになり、大学へは寄付という形での貢献が行われている。その額は1997年に6586英ポンドであるが、そのうち586ポンド分は物納である。
 以上でOUPの全体像が見えてくると思う。最近は世界的なITの普及と共に、170以上の学術雑誌がオン・ラインにのり、OED(Oxford English Dictionary)もCDやWeb上で見るようになった。大学出版といえども他の商業出版社と同じように、著者との契約、販売力強化の必要性などにおいて、何ら特別視されることはない。学術の振興、宗教教育、情操教育、文化の発展に寄与する目的は今も将来も変わることはないであろう。
※(CUPは1584年設立。現在2万点が入手可能、年に2400点の出版が行われている。CUPの理事会はシンディケートである。英国の輸出に貢献したことにより、OUP・CUPともQueen's Award for Exportを受けている)
(OUP東京 1954〜1994年 在籍)



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