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学術出版と著作権の今後
金原 優
学術専門書は大学出版部のような教育機関を基盤とする出版会、研究者の組織である学会あるいは協会、ならびに会社組織としての出版社等によって出版されている。これらの学術専門書、とりわけ学術専門雑誌の目的は研究者に必要な情報を提供することであり、同時に研究者にとってはその成果を発表する場でもある。多くの学術専門雑誌が発行され、利用されることによって日本の学術研究のレベルは上がり、これらの専門雑誌の果たす役割は高く評価されることになる。
学術文献の複写利用
学術専門雑誌を含めたすべての出版物は、本来印刷・製本された形態で読者に利用されることが基本であるが、学術専門雑誌の性格上、複写利用されることも少なくない。学術専門雑誌は最初から最後まで読み通すというものではなく、それぞれの研究テーマを求めて文献単位で利用される性格を持っている。近年は学術文献のデータベースも整備されており、どういった文献がどこに掲載されているかを瞬時に検索することが可能になってきた。目指す文献の所在が確認されれば、それは必ずしもその文献が掲載されている雑誌を入手しなくても、文献単位、つまり複写物の形で入手できれば用は足りると考えられるものである。学術専門雑誌それ自体も増大しており、それが果たす学術的役割を考慮すると学術文献の複写利用は必ずしも否定されるべきものではないと考えられる。
著作権法第三〇条は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲において利用する場合にはその利用するものが複写することを認めており、著作権法第三一条は、政令で定められた図書館等においては利用者の求めに応じて図書館等の資料の一部分を一人について一部複写提供することを認めている。しかし出版物の複写は基本的に著作権者のみに与えられている権利であり、これらの著作権法における複写規定は、それぞれの場合において明記されている条件に合致する場合に限り、例外的に著作権者の権利を制限しているものと解釈すべきである。
前出の学術文献の複写利用にあたっては、これらの著作権法における例外的な権利制限規定に合致していれば法律の枠内として無許諾・無報酬で複写利用できる、あるいは複写物が入手できることになる。しかし、だからといって研究目的であれば、学術文献をすべて無許諾・無報酬で複写利用できると考えるのは大きな間違いである。
医学、理工学といった自然科学系の学術専門雑誌は大量に複写利用されているが、その実態を正確に把握することは困難である。学術専門雑誌については、必要とされる学術文献を有料で頒布するいわゆるドキュメント・サプライヤーと呼ばれる業者が多く存在し、一定の手数料を支払えば、必要な文献が郵送されてくるサービスが定着している。科学技術の振興のために文献検索と情報の提供、文献の複写は文部科学省所管の特殊法人である科学技術振興事業団で積極的に行われている。また、政令で定める図書館等における文献複写は著作権法第三一条の枠内として合法であるとしても、複写物の館外への送付は昭和59(1984)年の文化庁の報告書でも「このような実態を適法と解釈するには問題がある」としており、違法とはいえないまでも必ずしも合法ともいえないという要素がある。このような学術専門雑誌の文献複写は少なくても年間で数百万件あるだろうといわれている。一件を雑誌一文献と計算しているから頁数に換算すると数千万頁にもなる。
これらの複写以外にも、民間の企業や研究所、あるいは教育機関においても前出の著作権法に合致しない複写は多く存在するものと考えられる。企業では、特に研究部門や開発部門などでは、会議資料として、あるいは社内の他部門への資料送付の目的で、著作権法の規定を意識せずに社内の文献をコピーしているであろう。研究機関においてもそれぞれ所有あるいは購読している学術専門雑誌を研究目的で複写することはよくあるであろうが、それらの複写が著作権法の規定の範囲内であるかどうかはあまり意識しないで行っているというのが実態であろう。
日本複写権センターの設立
このように、多くの学術文献は複写物の形で利用されているが、著作権法の規定に該当しない複写については本来は必要な権利処理と然るべき複写使用料の支払を行わなければならない。ちょうど10年前に、出版界が組織する出版者著作権協議会(出著協)、学会・協会が組織する学術著作権協会(学著協)、それに著作者、写真家等の団体が組織する著作者団体連合(著団連)の三団体によって設立された日本複写権センター(JRRC)はこの目的のもとに運営されるはずであった。JRRCにおける複写許諾単価は基本的に1頁2円である。許諾の方式には複写のつど許諾を与え、使用料を徴収する個別許諾契約と、一定の範囲で複写の実態に応じた使用料を算定した上で許諾を与え使用料を徴収する包括許諾契約の2種類があり、包括許諾契約は、さらにその使用料算定の方法によって、実額方式、定額調査方式、定額簡易方式の3種類に分かれている。前出の1頁2円の基本単価はこのすべての方式に適用されるが、現在のJRRCが複写利用者と交わしている契約のほとんどは包括許諾契約の定額簡易方式によるものであり、この方式における計算方式は、1頁2円の基本単価に社員1人当たりの年間の予想複写枚数20枚を乗じたもの、つまり社員1人当たり年間40円を基本にして、それに社員数を掛けたものが年間の複写使用料となる。JRRCは現在約3500の企業と複写利用契約を行っており、年間の複写使用料収入は約1億6000万円となっている。
一方、この1頁2円の基本単価を妥当とは考えない、つまり2円では安すぎると考える出版社に対して、JRRCはいわゆる「白抜きR」と呼ばれる出版社が決めた単価で許諾を与える方式を制度化していた。しかしこの「白抜きR」の許諾要請は年間数十件程度で、年間の使用料収入も数千円から数万円程度と実質的には機能していなかった。そのため出著協はJRRCに対して1999年10月に要望書を提出し、「白抜きR」の周知徹底とその許諾業務を積極的に行うこと等を申し入れた。
JRRCはその後の検討のなかで、「白抜きR」は本来の業務ではないという疑問が出され、最終的に2000年12月26日、今後は「白抜きR」の取り扱いをJRRCでは行わない、という決定を下した。その結果、同日をもって「白抜きR」のJRRC委託が解除となった。
日本著作出版権管理システムの設立
宙に浮いてしまった学術専門雑誌の複写許諾業務を処理するために、日本著作出版権管理システム(JCLS)が2001年1月に設立された。JCLSはJRRCの許諾が適切に機能しなかったという教訓を生かし、すべての委託について委託出版社が許諾単価を指定して委託する方式を採用している。出版物は定価がそれぞれ異なり、頁当たりの単価もさまざま。目的用途もそれぞれ異なり、複写の対象になるものならないものもそれぞれ多様。そういったさまざまな出版物の複写にかかる許諾単価が均一であることは不自然である。増大する多様な出版物の複写利用に対応し、しかるべき複写使用料を徴収するためにはこの方式が最も適切であると考える。
現在JCLSは委託出版社との委託契約を行い、委託リストの提出を受けつけているが、一定の委託契約が進んだところで複写利用者との複写利用契約を開始し、複写利用料の徴収を開始する予定である。徴収した複写使用料は一定の手数料を控除した後、委託出版社に対して、複写利用の実態に応じて配分する予定である。
学術文献における著作権処理の今後
以上のようにJCLSは現在利用者側との話し合いによって、明らかに著作権法の枠外と判断される複写利用について許諾業務と使用料の徴収を開始することにしている。しかし個々の複写実態はさらに複雑であり、現在の著作権法の解釈も明確でないところが多々存在する。現在文化庁で行われている文化審議会著作権分科会情報小委員会では、時代の変遷とともに変化するさまざまな複写利用に対応するための著作権法改正に取り組んでいるが、それと並行して法律の解釈が明確でないところ、あるいは時代に即して実務上の取扱いの変更が必要なところについては権利者と利用者双方による協議によって合意に達する点があるかどうかの検討に入っている。その協議によっては、これまで著作権法の後ろ盾がなく、何の対応もできなかった複写利用についても必要な権利処理が可能になることも出てくるであろう。
こういったことの背景には、学術専門雑誌については複写利用が避けられないという純粋学術研究上の必要性と、実際に市場に出回る専門雑誌の販売量との比較でかなりの量となる複写利用の実態を出版者と利用者双方が十分把握しているということがあげられるであろう。学術専門雑誌はそもそも学術研究者に読んでいただかなければならない出版物である。そういった出版物がその主たる市場において研究目的という大命題のもとに研究者に複写利用されてしまい、その利用にあたって何の権利処理も使用料の支払も行われないということになってしまうと、学術専門雑誌の発行そのものが不可能になってしまう。学術専門雑誌の発行者が大学出版部であっても学会であっても、また商業出版社であったとしても事情はまったく同じである。読者に有料で利用していただかなければ出版にかかる経費が捻出できないのである。
今後、学術専門雑誌が継続して発行されるためには、複写利用にかかる適切な許諾システムが機能し、複写使用料の支払が公平に行われなければならない。欧米ではすでにそのことに対する制度が確立されており、学術専門雑誌の複写利用が適切に行われている。日本においても今後、学術文献は複写利用の必要性と頻度が高いということを出版者側も認識し、一定の複写利用についても便宜を図り、利用者側においても、著作権法を逸脱する場合はもちろんであるが、それ以外の場合においても利用の実態が出版者の正当な利益を侵害し、学術専門雑誌の継続発行を阻害する可能性の高い複写利用については、出版者側と十分な話し合いによって必要な権利処理を行うことが必要であろう。それが学術専門書出版の意義と必要性をさらに高め、最終的には日本の学術文化の発展に寄与するものとなるだろう。
学術専門書の出版者と学術研究者は今後も密接な関係を保ち、著作権を尊重しながら双方の立場を理解しつつ、学術出版の今後を考えていかなければならない。
(医学書院代表取締役社長)
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