学術書電子書籍Ebook出版の動向
新しい本のかたちを創り出す試み


山本俊明



 インターネットと学術出版

 インターネットが日本でも普及しはじめたころから、大学出版部協会編集部会では、「学術専門書出版とインターネット」などの主題で研修会を開き、インターネットを通した学術書出版の可能性を議論してきた。インターネットによって出版すれば、印刷代、用紙代などがかからず製作費は削減できる、流通経費をかけず読者に直接情報を届けられる、本を置く倉庫も要らない、大学出版部には理想の出版方法である、と考えられた。しかし実際に電子出版の取り組みが始められたのは、学術書出版社ではなく、大手出版社、印刷会社などの「電子書籍コンソーシアム」であり、現在では集英社ほかが運営する「電子文庫パブリ」などである。だがこれらの電子書籍のコンテンツはほとんどがコミックやエンターテインメント小説である。その他、研究者が個人的にオンライン出版を始めた例はあるが、出版社がインターネットの特性を利用した学術書の電子書籍を出版する動きはまだ現れていない、といえるだろう。
 むしろインターネットで流される学術情報は、レフリーの審査を経ておらず、また紙の本のように出版するにあたっての選択という「評価」も書籍としての「付加価値」をつける編集作業もないもので、学術的価値は低いという見方が支配的である。また、著者と読者を結びつけるインターネット環境で、その間に位置する出版社の役割はどのようになるのか、編集者はどう関わるのか、学術情報の価格設定は何を基準にするのかなど、まだビジネスモデルを見出せず、資金的・技術的準備もなく時期尚早という見方が一般的ではないだろうか。
 しかし、インターネットは学術情報を、それを必要とする人だけに届けることができる有効なメディアである。とくに大学出版部が、小部数多品種の学術書を出版していくためには、インターネットによる出版の可能性をさまざまな角度から検討していく必要があるのではないかと思う。

 東アジアの大学出版部における電子書籍出版の動向

 今年の9月5日に上海外国語大学を会場に開催された第5回 日本・中国・韓国大学出版部協会合同セミナーの主題は、「インターネット出版と伝統的出版」であった。急速に進展するインターネット環境において、大学出版部はどのような出版活動をしていくかがそれぞれの国から報告され、議論された。
 中国・韓国においても現在、電子書籍が出版されている点は、日本と同じように小説や評論などの分野である。日本と異なるのは、韓国では、昨年、商業出版社が電子書籍会社と電子書籍協会というコンソーシアムを形成したが、いくつかの大学出版部にも加盟が打診されたことである。電子書籍会社から提示された条件は、著作権は電子書籍会社が保有し、売上収益の60%を大学出版部が40%を電子書籍会社が得るというものである(出版部が著者に印税を払うので、実際は20〜30%)。その時点では、電子書籍協会に加盟することが見送られたが、その後も大学出版部の多くは、電子書籍の出版については、「観望の姿勢」にあるという。しかし、今年になって電子書籍の規格が統一され、韓国学術図書出版協会加盟のいくつかの出版社が共同でウェブサイトを開設し、電子書籍を出版することを決定した。電子書籍化の大きな流れの中で大学出版部も具体的な検討を始めている。
 中国は、市場経済体制のもとで、大学出版部間の競争が激化し、学術書出版の経営状況が悪化していることもあるが、電子書籍への関心は、むしろ出版の流通機構が十分に発達していないことと、紙資源の不足という問題から生まれているようである。最近では著作権を保護し、コピーを防ぐ電子書籍用のプログラムが開発され、大学出版部のいくつかは電子情報会社にデータを渡し、図書館などへの販売が積極的に検討されている。
 日本を除く東アジアの大学出版部においては、中国では2002年から電子書籍を出版しはじめる勢いがあるし、韓国もそれに続くであろう。ただ、電子書籍とはどのような形態のものか(紙の本をデジタル化しただけのものなのか)、価格はどのように設定するのか、などビジネスモデルはまだ見えていない段階にあると思う。

 アメリカにおける学術書電子書籍の動向

 インターネットの発祥の地アメリカでは、学術書の電子書籍の出版がすでに始められている。MIT出版部では6年前からインターネットで書籍のデジタルデータを無料で提供しているし、大学出版部協会に加盟しているナショナル・アカデミー出版部では、やはり無料で2000点ほどの電子書籍を出版している。一方、数年前から商業電子出版社によって電子書籍の出版が事業として始められている。
 現在では「電子書籍のゴールドラッシュ」といわれるほど、数多くの商業電子出版社が設立され、大学出版部などの出版社からデジタルデータの著作権を買い求め、電子書籍・雑誌・論文を出版している。学術書を中心に販売しているのが、ネットライブラリ(Net Library)、クェスティア(Questia)、イーブラリ(Ebrary)などの出版社である。それぞれ3万から4万点の研究書のバックリストを持ち、図書館あるいは個人に電子書籍として販売している。たとえばネットライブラリは全米で5000以上の図書館に電子書籍を配本しているが、最近、カリフォルニア大学と契約し、図書館を通して、研究者、学生に電子書籍を配信し始めた。利用者はコンピュータにダウンロードし、電子書籍特有の全文書の検索機能、強調機能、書き込み機能などを利用して、「紙の本」と同じように講読できる。
 しかし、電子書籍を導入した大学のレポートによれば、まだ紙の本のほうが使いやすいという結論になるという。コンピュータ画面では読みにくく30頁以上は読めない、突然データが消えることがある、スクロールして読むのに時間がかかるなどの問題である。これらの問題は技術的に改善されていくであろうが、それ以上に懸念されているのが、べンチャービジネスとしてここ数年の間に設立されたこれらの商業出版社の経営的不安定さである。
 また商業電子出版社の主導による電子書籍の形態は、ほとんどが既存の本のデータを単にデジタル化したものである。インターネットの特性を生かした「新しい本」を生み出すまでにいたっていない。
 アメリカ大学出版部協会の今年度総会では、「電子書籍の配本システムは不安定であり、市場はまだ未成熟である。価格のつけ方、読者がどのような電子書籍を求めているのか、まだ明らかではない」という報告もされた。
 商業電子出版の急成長に対して、学術専門書を出版してきたアメリカ大学出版部は、データの提供など協力はしながらも冷静にその動向を見極めようとしているようである。

 学術書History Ebookプロジェクト

 それでは質の高い学術情報を提供し、しかもインターネットの特性を生かした「紙の本に代わる新しい本」とはどのようなものであろうか。
 そういう意味で注目されるのが、アメリカ学術会議が、アメリカ大学出版部協会、5つの歴史関係の学会と共同のプロジェクトとして歴史学分野の学術書Ebookを出版する準備を進めていることである。このプロジェクトの目的は、第一に「歴史学分野で、質の高い学術書Ebookを出版し、Ebookが学会で幅広く受け入れられる環境を作り出すこと」である。アメリカでもインターネットに流された学術論文は、大学の終身在職権を得るための業績にならないし、昇任の審査対象にもされない。このプロジェクトでは、学会で指導的立場の研究者、大学出版部の編集者、図書館司書などが構成する審査委員会が、まず原稿の厳密な審査を実施し、大学出版部の編集者が編集に携わり、出版の質を高める仕組を作っている。
 計画では、参加している大学出版部の既刊書で評価の高い書籍を500点選考し、Ebookにする。また85点のEbookの新刊書を発行する。Ebookの作成は大学出版部とデジタル・ライブラリ・プロダクション・サービス(DLPS)が担当し、History Ebookのウェブサイト(www.HistoryEbook.com)を通して契約した大学図書館などに届ける。図書館は規模によるが、年間300ドルから、1500ドルの料金を払う。読者は、キャンパスのネットを通して自宅でもダウンロードできる。またCD-ROMやDVDで受け取るほか大学出版部から印刷された本で買うこともできる。つまりこのプロジェクトではさまざまな形態で学術情報を受け取ることができるのである。

 新しい本のかたちを創り出す

 このHistory Ebookの特徴は、インターネットが持っているさまざまな可能性、マルチメディア機能を使った新しい「本」のかたちを創り出そうとしていることである。まだ出版されていないが、最初のEbookの著者となるアメリカ歴史学会の前会長で、プリンストン大学歴史学部教授、ロバート・ダーントンによれば、単にテキストをデジタル化するだけでなく、新しい学術研究の方法による新しい本のかたちを追求するという。Ebookはピラミッドのイメージで説明すると5つか6つの層によって構成される。一番上の層は、概説的な内容、第二層は、注、第三層は原資料、そして第四層は方法論など学問的議論、第五層は、授業にその内容を利用したシラバス、第六層には、批評、編集者とのやり取り、読者からの手紙などを載せる。読者は第一層で概説的知識を得られるが、関心に従って、ハイパーリンクをたどり、さらに深められた議論を参照したり、クリックし地図や表、歌などを引き出すことができる。
 テキストだけでなく、マルチメディア機能を用いて映像や音響も取り入れるアイデアは、よく知られているが、それを学術書Ebookで実現し、これまでの「紙の本」とは別の「本」を創り出そうとしているのである。
 また原資料を読者に提供することによって、学問的検証のプロセスに参加を促すという。ダーントンは「歴史研究者は多くの人に歴史資料の豊かさに直接触れてほしいのである。研究者の解釈を通して資料に触れるのではなく、読者が直接、資料を読み、解釈し、研究に参加してほしい」といっている。これまで、学術情報は研究者から読者への一方通行であったが、読者へも参加を呼びかけ、読者からの応答も取り入れながら双方向で研究を進めていく。Ebookがその媒体となるのである。インターネットの特性を利用した新しい学術研究の方法の中から新しい本のかたちが生み出されようとしている。電子書籍がすぐに「紙の本」に取って代わることはないであろうが、この新しい本のかたちに注目する必要があるのではないだろうか。
(大学出版部協会副幹事長・聖学院大学出版会)



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