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プロによる編集は不要になるのか
― デジタル時代の著作権動向と出版 ―
中野 潔
風雲急を告げる著作権問題
2002年3月に第一回会議を開いた政府の知的財産戦略会議が、猛スピードで審議を続け、7月3日に「知的財産戦略大綱」を出したことでもわかるように、著作権に代表される知的財産権の問題が急速に注目され始めている。
拙著『知的財産権ビジネス戦略[改訂二版]』(オーム社)で予想したブランド価値の企業会計算入の動きも本格化してきた。音楽や映画ビデオのコピーに比べて紙のコピーが高く、音楽や映画ビデオのキャプチャー(パソコンへのデータ取り込み)に比べてイメージスキャナーの価格が高いという幸運により、違法コピーの影響が限定されてきた出版業にも、荒波が襲い掛かるだろう。
4月25日、日本の最高裁が、中古ゲームソフト訴訟におけるゲームソフトメーカー側の控訴を棄却。中古ゲーム販売店の勝訴が確定した。以前から中古CDや古本の販売は著作権法違反ではなかったが、5月には、中古CD販売店の脅威を説く日本レコード協会に対し、この最高裁判決に勢いを得た中古販売店が噛み付く騒ぎも起きた。
一方、音楽や映画の違法コピーファイルがP2P(ピアツーピア。エンドユーザーのパソコン間で自由にファイルを交換する仕組み。合法的なファイル交換への利用も多い)で大量に交換されている。4月9日、日本でP2Pサービスを提供してきた(有)エム・エム・オーが市販音楽ファイルの交換を停止するよう東京地裁に命令されたり、6月3日、米国P2Pサービスの草分けであるナップスター社が破産申請したり、6月29日、P2Pソフトの雄であったグヌーテラの開発者、ジーン・カン氏(25歳)が自殺したりと、P2Pサービスには一見、向かい風が吹いているようにみえる。しかし、違法コピーの蔓延による、音楽・映画などの業界の売上高減少には、当分歯止めが掛かるまい。デジタル化の影響は、出版業界にも必ず及ぶだろう。
増殖する無料コンテンツ
紙中心の出版事業に、デジタルネットワークの技術が取り入れられたことにより、次のような新しいタイプのサービスが生まれてきた。
(1)有体物としての出版物のオンライン通販と周辺サービス
(2)プリンティング・オン・デマンド
(3)出版物のコンテンツデータの配信
こうしたサービスが可能になった背景には、
(a)最終的に紙に印刷する場合にでも文章や図版が、ほぼ確実にパソコンで扱えるデジタルデータになっている、
(b)高学歴者を中心に、中高年層まで含め、パソコンとインターネットが使えるユーザーが着実に増えている、
という事実がある。このことが、コンテンツ(文章、音楽、映画などの著作内容)の対価回収が難しいという事態を招いた。
対価回収の第一の脅威が、無料コンテンツの氾濫である。ネット上には、優れた無料コンテンツがあふれている。まず、執筆や出版を業としないアマチュアの書いたもの。次は、企業広報のコンテンツである。企業が(ネットには無料で)流す広報情報、宣伝情報と、有料の雑誌などの情報との差がなくなってきた。そして、既存メディア企業の多くが、課金の難しさのゆえに、初期段階から民放テレビ型広告モデルを採用したこともあって、ネット上のコンテンツが無料であることが定着した。
最後が何と、紙の出版の著者自身がウェブなどに載せてしまった文章である。世界の著作権法は原則としては著作者を守っている。後述するエディティングの機能を業として提供する出版社などの権利は、著作者と種々の契約を結ぶことではじめて生じる。出版権設定などの契約を結ばないかぎり、著作をウェブに掲載する権利は著作者が独占的に保持している。雑誌の原稿料のように、部数比例でない形で報酬を受け取ってしまった著者は、その記事をウェブに載せることで雑誌の販売部数が減ったとしても取り分が変わらない。大学の月給で生きている著者は、書籍が売れなくても生活には困らない。実は学術出版社がつぶれると、業績を公表する場がなくなって著者自身も困るのだが(多種多様の学会論文誌が存在する工学系研究者を除く)、ウェブ掲載と倒産との因果関係が実感できるわけでもない。
第二の脅威が、前述のP2P型ファイル交換サービスの普及である。P2Pなどによる悪影響を防ごうと、DRM(デジタル・ライツ・マネジメント=デジタル技術でコピーを不可にするなどコンテンツの権利を守ることの総称)の分野において、いくつもの手法が開発されてきた。DRMは、識別管理、解読管理、複製管理、再生管理、などの機能からなるが、ここでは詳述しない。これらは今後も強化され、それなりには機能し、それなりの対価を回収することができるようには、仕向けてくれる。しかし一方で、P2P手法はますます普及する。違法な無料のデジタルコンテンツが大量に出回ることになるだろう。
フェアユースと商業事業者の採算性
第三の脅威が、フェアユースの広がりの要望の強さである。米国では判例の積み重ねによって、フェアユース(公正使用)の概念が確立されている。日本の著作権法にも、米国の公正使用に似た例外が設けてある。公共教育(ただし、著作権者の権利を著しく侵害する場合を除く)の教材、試験問題、図書館などにおける複製である。この例外をデジタル関連分野でさらに広げようという動きすらある。
しかし、ネットワークを通じた学校や図書館のサービスとなると、何でも例外のままでいいか、すなわち、学校や図書館による著作権者の許諾を得ない種々の行為が、著作権侵害とならないとしておいてよいのか、という疑問が起きる。
背景にはまず、ネットを利用した教育の増加がある。通学制の大学で卒業124単位のうち60単位、通信制の大学で全124単位を、インターネットなどによる蓄積・読み出し型の講義で単位取得してもよいこととなった。双方向のリアルタイムの遠隔授業でなくとも「授業」になるのである。また、集合教育型の教育でも、あらかじめ生徒に対し、教材をネットで公開する例が増えてきた。
教育の場合、そうしたネット上の教材に、生徒だけしかアクセスできないようにすれば、他者の著作物を教材に用いても問題にならない可能性が高い。しかし、教員個人では、そういったID管理(利用者を識別し、閲覧や複製の許可をシステムで管理する)のところまでは設定しにくい。
図書館では、書誌情報はともかく、書物のコンテンツ自体を外部から閲覧可能なネットワークに載せる例は、まだ出現していない。しかし、北海道の岩見沢図書館のように、館内で電子ブックの仕組みで書籍コンテンツを流す試みが始まっているから、住民からの要望は今後増加するだろう。
関連して「公共図書館の無料原則をネットにも」と主張する論者も多い。公共図書館では性格上、アクセス権者を絞るという仕組みがとりにくい。すると、商用データベースや有料電子メディアと同じ情報が図書館から無料で不特定多数を対象としてネット上に流れることになってしまう。
プロによるエディティング業務は壊滅か
コンテンツの対価が回収できないとすると、何が起きるのか。クリエーターの側では、無料でもいいから、書きたい、作りたいという人が今後も出てくる。その中には、現在の言葉での「プロ」のレベルに達する人が必ず出てくるだろう。
クリエーターの作成したコンテンツをユーザーに届ける役割を果たしてきたディストリビューターの機能のうち、プレスして配送、電波で伝達といった機能は、インターネットプロトコルとブロードバンド回線の普及で縮小する可能性が高い。これは、デジタルネットワーク社会では、避けようがない。
問題は、新聞社のデスク機能、あるいは、出版社、制作プロダクション、音楽出版社(レコード会社)などが果たしていた「エディティング」の機能である。
筆者が現在、捉えているところのエディティングの機能については、今春の『出版レポート』(出版労連)で詳述したので、ここでは機能要素を列挙するにとどめるが、次の5つである。
(1)パッケージング、編成
(2)フィルタリング
(3)ナビゲーション
(4)進行管理
(5)クリエーター(著者)の発掘・育成
広義のデジタルコンテンツ業界が回収できるコストが大きく減少すると、このエディティング機能に回る資金が減少する。社会に提供されるエディティングの機能が衰退したとき、インターネット上に玉石混淆のコンテンツが、何千、何万もあったとして、エンドユーザーが自分に合った分野の、自分に合ったレベルのコンテンツをどう探したらいいのだろうか。
OS(オペレーティングシステム)のLinux(リナックス。ソフトの名称)をボランティアの力で開発したオープンソース型ボランタリーモデルを引き合いに出して、コンテンツの供給、あるいは、エディティング機能の供給について、何とかなるとする論者は多い。しかし、広義のソフトウェアのうち、ツールとコンテンツとでは、性格が異なり、ツールで成功したからといって、コンテンツでもこのモデルがうまくいくと考えるのは早計である。この理由も、『出版レポート』の今春の号で詳述している。
冒頭で述べたように、大学教員と学術出版社とは、呉越同舟・一蓮托生状態にある。日本でも欧米でも、大学の教員が作成したコンテンツは多い。私立大学にも多額の税金が注ぎ込まれている。国や自治体によるパトロネージュでコンテンツを死守しているといえないこともない。
しかし、大学教員も、短い論文ならともかく、まとまった書籍を編集者の叱咤激励、スケジュール管理なしに書き上げるのは難しい。現在、一部の大学のみにある出版部を除いて、大学職員にはプロの編集者の機能は存在しない。プロの編集者が存在しなくなると、コンテンツクリエーターたる教員がいても、円滑なコンテンツの供給が果たせない可能性は高いのである。「著作権制度なんてぶっつぶせ」、「横暴なマスメディア企業はつぶれろ」論者には、月給とりの大学教員が多いが、社会のニーズに総合的に答えることができるのかという視点を持った上で発言するべきであろう。
(日本出版学会理事/早稲田大学/国際大学グローコム)
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