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「書くこと」のインセンティブ
― MIT OCWにみる著作権意識の変化 ―
植村 八潮
知の私有化
マサチューセッツ工科大学(MIT)が「オープンコースウェア(OCW)」プロジェクトを発表してから、1年余り。今秋に予定される一般公開を前に、関係者の論文が発表されるなど、その概要が次第に明らかになってきた。今後10年間でMITの講義に使われているほとんどの教材をウェブで無料公開するというこのプロジェクトは、発表翌日、ニューヨーク・タイムズ紙の一面報道も加わり、ネットを通して世界中の大学に衝撃を与えた。
OCWというプロジェクトはそのウェブサイト(注1)によれば、「知の私有化(privatization)」であるという。ここでプライベタイゼーションという単語は、明らかにパブリケーションに対峙した用語として使われている。
もともと「学術の著作物が著作権で保護されているのは、その内容の学術性のためではない」(ベルヌ条約)。著作権法は研究成果として得られた事実を保護するのではなく、その「思想・感情の表現」としての論文や書籍を保護の対象としている。たとえばアインシュタインの相対性理論は、アインシュタインの名が冠せられていても、自然科学界における真実は万人のものである。ただ、その理論を表現した論文が著作物として保護されているのである。
個人の手によりひとたび論文として公表(パブリケーション/出版)された内容は、文字どおり公のものとなる。つまり出版には「公共財とする」という意味が込められている。しかし、公表されただけでは「知」の循環は完結していない。生み出され流通することで公有化された知識は、多くの人たちが学ぶ機会を得ることで、再び個人のものとなって(私有化)、初めて循環することになる。
あまねく公開された知を個人が獲得するためには、歴史的にも地域的にも対価が要求されてきた。出版が知の流通を担っているとしたが、その知の獲得のためには本を買う必要がある。同様に大学で学ぶには授業料を払う必要がある。おそらくここにOCWが「知の私有化」と書く意味がある。知識を得る機会はすべての人々に平等に開かれているべきであり、そのためにITは教育の機会均等のために重要な役割を担っている。インターネットの世界では、知の公共化と私有化が同時に、しかも無料で可能である。
知のフリーウェア化と出版ビジネス
OCWは名前から明らかなように、基本思想はリナックスに代表されるオープンソースである。彼ら自身が「前例のない挑戦」と言うだけあって、基本ソフトウェアやネットワークのようなインフラを共有財産にするだけではなく、その上で流通する「知」をもフリーウェア化するというプロジェクトである。
OCWの検討メンバーであったスティーブン・ラーマンと宮川繁は「世界中で多くの教科書が教育に影響を与えてきたように、OCWのウェブサイトを通して提供される情報もまた、学外の教授法や学習法の参考となることを切に期待している」と書く(注2)。彼らがOCWを出版に極めて近いプロジェクトととらえているのは明らかである。
一方、出版社は「知」を本の形に編集し、流通させることで成り立ってきたビジネスであり、商業的行為を続ける中で、「情報」流通の役割を担ってきた。日本の高等教育で利用されている教材、教科書に限ってみても、教員が授業のたびに制作し配布するプリントよりも、圧倒的に商業出版社の発行によるものが多い。実際、日本の大学出版部はもとより、雑誌を発行しない専門書出版社の多くは教科書の発行を大きな収入源としている。また、出版社はインターネットで加速化する情報洪水の中で、情報の選択や信頼性の確立という重要な役割を担っている。「知のフリーウェア化」が健全な出版活動を阻害し、結果的に教科書の供給を滞らせることにつながりはしないだろうか。
これに対して宮川は、OCWはインターネットにおける体系的知識の提供や事業の継続性も考慮した「良いものを無料にする」初めてのプロジェクトだという(注3)。OCWが出版社の存在を否定するものではないにしても、「21世紀型情報発信のかたちとして理想的である」と考えているのも事実である。紙による出版が、20世紀後半までに完成され、世紀末に行き詰まっていたのもまた事実である。
学術情報とウェブ教材の著作権
OCWを始めるにあたって教員の懸念事項として、「教員が作成しOCWで公開されるコンテンツの所有権は誰に帰属するのか」という問題があった。伝統的に大学では、教員の執筆した文章の著作権は、教育研究の成果である学術出版、論文、教科書であっても、教員に帰属している。これは企業において「職務著作」とされる可能性が高いケースである。また、多くの専門学校や予備校は教員の執筆に何らかの制限があるし、教員の印税や講演収入を管理している大学も例外的にはある。が、通常、大学教員が教科書を執筆し著作権者になることは自由であり、日本でも欧米でも問題になることはない。
しかし、大学がeラーニングを手がけるにあたって、新しいルールが必要になってきた。紙の著作物は教員の著作物としながら、ウェブ教材は講義に準ずるとして大学に帰属するとした機関も多い。この結論を最初に提供したのが、ハーバード大学と法学部アーサー・ミラー教授によるオンライン授業の著作権問題である。しかし、MITはこの流れとは一線を画し「教員が講義のために作成した資料の所有権は、これがウェブ対応形式に変換された場合も、引き続き当該教員に帰属する」という方針を打ち出した。
ここに人文社会学を中心とするハーバード大学と理工学を中心とするMITの文化の相違を見ることもできる。もともと学術情報の著作権において、特に理工系および生命科学系では、学術情報は公共財として共有されるべきという考えが強い。その結果、多くの学会で投稿された論文の著作権の譲渡を求める規定を定めている。これに対し人文社会系学会では、譲渡を受ける学会の方がまれである。
ここでいう著作権は財産権の意味で、一身専属的であって法的にも譲渡のできない著作者人格権は含まれない。当然の結果として、論文執筆の著者という名誉は守られることになる。
書くことのインセンティブの変化
名和小太郎が指摘するように「理工系・医薬系の研究者は先取権という人格権については大きな関心を示すが、経済権については意識が低い(注4)」。つまり「名を取るより徳を取れ」の逆で、研究者にとってわずかばかりの著作権収入よりも名誉が重要なのである。この背景がMITの教員たちに著作権を保証することで、経済的資源を手放すことに同意させたとも考えられる。注目すべきは著作権の放棄(パブリック・ドメイン)や譲渡ではなく、自ら著作権を保持しながらフリーにするという新たな動きである。
著者の名誉を守ることで情報を公共財とするこの思想は、まさにストールマンのフリーソフトに始まり、オープンソースとして洗練され、さらにインターネットコミュニティを支配し続ける理念となったのである。リナックスを持ち出すまでもなく、インターネット時代の名誉の波及スピードは、紙の出版時代の比ではない。論文執筆のインセンティブとして学会が与えてきた「名誉」に代わって、インターネットという場が、バーチャルだからゆえに巨大化した「名誉」を与えることになった。この結果、学術情報流通で、デリケートながらバランスのとれていた人格権と経済権は、人格権に大きく傾くことになった。つまり金銭的な報酬以上に名誉が重んじられる傾向となった。
著作権法がもともと公共財としての性格が強い「情報」に対し、著作者に創作へのインセンティブを与えるものだとしても、そのインセンティブの内容が変化したのである。インターネットが情報をパッケージから引きはがし、むき出しのコンテンツという存在にした結果、改めて公共財としての学術情報という正確が強まったともいえる。
一方、学会も「名誉発行機関」としての立場を手放すわけにはいかない。電子ジャーナルを発行する学会も増えてはいるが、それは紙の論文発行により築いてきたシステムの電子化にすぎない。電子ジャーナルにおいても査読による論文レベルの維持が求められており、「学会の権威」維持をいかに図るかが腐心されているともいえる。
今や学術情報の流通は商業化が進む一方において、さまざまなオープンアーカイブの運動を生んでいる(注5)。これらは日本の人文社会系学会でも積極的な論文公開の動きを見ることができる(注6)。まるでインターネットというフィルタを通すことで、公共財としての学術成果という考えが、理工系研究者から人文系にも波及したかの勢いである。
かくして本誌の中野論文が紹介するように「紙の出版の著者自身がウェブなどに載せてしまった」例を、今や大学教科書・学術専門出版社は多かれ少なかれ経験するに至っているのである。しかし、現時点では、紙で出版されたというのは厳然たる名誉であるがネット上では評価が低い。その結果、ウェブで自分の著作物全文を公表する著者は、すでに本になっているという「品質保証」を一方で担保にしながら、ウェブでの公開という「先進的な研究者」という名誉を得ることになる。その行為を倫理的に否定したとしても、出版社が法的に止めることができないのは、本誌の樋口論文で明らかである。
いずれにせよ紙からインターネットへと舞台は回ったのである。この舞台で踊るか否かは出版社が問われているのであり、「新たな知の流通」という幕はすでに上がっているのである。
■ 注
(1)
http://web.mit.edu/ocw/
(2)スティーブン・R・ラーマン、宮川繁「MITオープン・コースウェア・プロジェクトにおける決断とチャレンジ」IDE現代の高等教育、440号、民主教育協会。以下のOCWに関する引用は本論文による。
(3)東京工業大学・学術国際情報センターシンポジウム(2002年6月27日)における講演で、筆者の質問に答えて「お金を払った方が役に立つものが得られるというのは、産業社会の作った美徳である。インターネットにおける情報が無料であることは、困ったことでもある。なぜなら良いものができない。インターネットはeコマースとか特殊な情報を得るとかに限られ体系的な知識は得られない。」とした上での発言。
(4)名和小太郎『学術情報と知的所有権』東京大学出版会、2002年
(5)「ギンスパーク・ショック」という言葉を生みだした、ポール・ギンスパークの「eプリント・アーカイブ」は、2001年秋にコーネル大学に移籍した。今春、電子教材の視察を目的に同大学を訪問した際、このアーカイブはデジタル・ライブラリプロジェクトの中核を担うものとして説明を受けた。筆者の質問に「いつ止めてもおかしくない」とだけ答えた同大学のオンライン教育事業である「eコーネル」とは対照的な扱いであった。
(6)これらの動向については、本誌49号に寄稿された岡本真のウェブサイトに詳しい
(http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/ARG/)。
(東京電機大学出版局)
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