デジタル出版最前線[5]
文字は紙と仲が良い
■インターネットによる電子書籍の配信実験が行われていた頃、日本文藝家協会が「活字のたそがれ」と題したシンポジウムを開催した。「使いたい文字がワープロにない」のは「JISによる漢字文化の破壊」である。だから、「漢字を救え」といったヒステリックな意見もあった。誤解もあるとはいえ、出版メディアの急速な変化に対する、作家たちの不安の現れだったのだろう。今やインターネットは常時接続時代となり、ナップスター問題のような著作物の違法な流通が常態化した。でも有料コンテンツの配信はどれも実験段階である。では「活字はたそがれていく」のだろうか。
■活字を「紙にインクで刷られた文字」とすれば、総量はともかく役割の低下は間違いない。だって電子メールで膨大な量の文字が流れているのである。新聞や本などの「紙の上の文字」とケータイやパソコンなどの「ディスプレイ上の文字」で、一日にいったいどちらを多く読んでいるだろうか。僕は間違いなく後者である。一時、通勤電車の往復を電子メールやメルマガを読むのに費やしていた頃がある。おかげで老眼がドライアイと仲良く一緒にやってきた。
■「本がなくなるか」はさておいても、絶対に「文字はなくならない」。それどころか、ものすごい勢いで増え続けている。インターネットに流れる文字(コード)を紙でやりとりしようとしたら、世界の森林資源を瞬く間に使い尽くすことだろう。仕事の内容はかなり変わるとしても、今後も出版社や編集者の役割がある、と信じているのは文字は不滅だからである。
■メールをプリントアウトして読んでいる人も多いと思う。電車の中でウェブサイトやメールのコピーにアンダーラインを引いている人をよく見る。でもその文字の列にある種の読みにくさを感じることと思う。それは書籍の組版に当たるものが不在だからである。白いスペースに版面と呼ばれる本文の領域を決め、文字の大きさ、文字数、行数、行間と〈更生者〉氏が夜も寝ないで昼寝して割付をしていく。それを明文化しようとすればゆうに大部の本となるさまざまな組版ルールのもとで活字が組まれているのである。
■ソフトウェア工学にトランスペアレント(透明)という用語がある。ソフトやハードの存在が利用者に気づかれない、つまり文字通り透明になっているという意味である。例えば電話は誰でも容易にかけることができ、その存在も忘れて話に夢中になれる。これは電話の完成度が高くトランスペアレントだからである。同様に小説を読む際、その物語世界に没頭できるのも高度な組版技術が黒子で働いている。紙と高精細な印刷技術は、現時点で最高の「読書装置」を作り出しているのである。
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電子ペーパー
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■さらに紙は目にやさしい。軽く薄く電源はいらず、保存が可能である。一方、ディスプレイはデジタル情報を直ちに表示し、書き換え可能で省資源である。その両方の長所をあわせ持てば、すばらしい読書装置となることは請け合いである。そんな虫の良いことを目指して開発されているのが「電子ペーパー」である。ペーパーとはいっても試作品を見る限りでは、まだまだ電子装置の域を出ない。とりあえず写真で紹介してあとは次回としましょう。
(電子ぺーぺー)
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