映画と国民国家 1930年代松竹メロドラマ映画
価格:5,500円 (消費税:500円)
ISBN978-4-13-080216-1 C3070
奥付の初版発行年月:2012年05月
文化・資本が国境を越え流動化していった1930年代,映画はいかにグローバル資本主義と結びつき,国民国家を強化したか.『その夜の妻』『非常線の女』から『愛染かつら』まで,松竹メロドラマ作品を詳細に分析し,その物語に潜む政治イデオロギーを抉り出す.
目次
序 章 メロドラマの近代
第1節 国境横断的な文化形式としてのメロドラマ
第2節 女性映画としてのメロドラマ映画——消費文化における女性の主体化/客体化
第3節 「国民国家」の臨界点としてのメロドラマ映画
第1章 サスペンスと越境——小津安二郎の「犯罪メロドラマ映画」
第1節 近代都市の境界——『その夜の妻』
第2節 アメリカン・ギャングスター——『非常線の女』
第2章 港の女たち——清水宏の「堕落した女のメロドラマ」
第1節 国境を漂う女たち——国民国家と帝国建設の狭間で
第2節 「混血」という戦略——『港の日本娘』
第3節 「母性愛メロドラマ」と「無国籍者たち」——『恋も忘れて』
第3章 二つの都市の物語——島津保次郎『家族会議』と「メロドラマ的創造力」
第1節 1936年2月26日——交錯するマス・メディアの網の目
第2節 複数のメディアを越境する
第3節 「レトリックの論理」——三木清のメディア論
第4章 「大衆」を「国民化」するイメージ——野村浩将『愛染かつら』と「母性愛メロドラマ」
第1節 熱狂したのは誰だったのか?
第2節 「大衆」と「国民」の狭間で
第3節 「大衆」のためのメロドラマ——『愛染かつら』の物語構造
第4節 「大衆」の時間、「国民」の時間——「すれ違い」というレトリック
第5節 呼びかける「母」の歌声——「大衆」のイメージから「国民」のイメージへ
終 章 メロドラマ的二元論の彼方へ