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エントロピーから見た科学の地平冷蔵庫と宇宙

冷蔵庫と宇宙 エントロピーから見た科学の地平 The Refrigerator and the Universe : Understandeing the Laws of Energy

A5判 450ページ 上製
価格:5,280円 (消費税:480円)
ISBN978-4-501-61990-9(4-501-61990-2) C3040
奥付の初版発行年月:2003年05月 / 発売日:2003年05月中旬

内容紹介

エントロピーを軸に20世紀科学を平易に集大成

前書きなど

 この本では四つのことをしようと考えた。まず,熱力学法則の内容を説明することから始めた。その法則は,ある現象(エネルギーの生成消滅やエントロピーの減少などを伴うこと)を禁じ,それ以外の現象は許可するという内容である。また,熱力学の限界についても指摘した。熱力学的に可能なことであっても,それが実際に起こるかどうか,起こるとしたらいつのことか,などの質問には熱力学は答えることができないのである。
 二番目に,これらの法則が,物質の分子レベルでの性質から,どのように説明されるかを示した。エネルギー保存則の発見は,運動している分子が物質を構成しているのだという考えから,直接でてきたものである。エントロピーは,もともとは物質のマクロな性質として見つかり,直観的にわかりやすい意味をもたなかったが,分子の視点で考えることによって,もっとはっきりと理解されるようになった。エントロピーは,分子集団のさまざまな状態の相対的な発生確率に直接関係しているのである。これにより,エントロピー増大則は,ほとんど自明なことを意味するようになる。すなわち,分子集団は,シャッフルされたトランプと同じで,確率の低い状態よりも高い状態になりやすいということである。われわれはまた,熱力学の法則を運動学的分子論から完全に正当化するのが難しいことも示した。その法則が生まれた19世紀においては,分子の動き方を正確に記述する理論がなかったのである。現在でも,われわれが分子の正しい理論と信じている量子力学をもってしても,熱力学法則の正当化を満足がいく形で行うには未解決な問題があり,パラドクスさえ存在する。
 三番目には,熱力学の法則が広範囲にわたって応用されることを紹介した。物理学,化学,生物学,地質学,冷蔵庫や車のエンジンの動作,鉄鉱石から鉄を取り出すこと,ダイアモンドの製造,筋肉や腎臓の機能,地球のエネルギーバランスとそれを壊すかもしれないもの,などなど多くことへの応用を見てきた。
 四番目に,20世紀の科学が熱力学法則を変え,分子レベルでそれを正当化することを容易にし,そして法則の適用先を天文学と宇宙論にまで広げてきたことをお話した。量子力学は,ニュートン力学よりもすぐれた分子論をつくりだしただけでなく,エントロピーの分子論的な意味のあいまいさを取り除き,極低温でエントロピーが消えることを説明づけた。エネルギーとその保存則が科学の最も基本的な原理のひとつとして祭り上げられてから,大して時間をあけずに,特殊相対性理論がその意味を変えてしまった。その新しい理論では,それまではエネルギーと独立した物理量と考えられていたものとエネルギーとを結びつけた。その物理量は,質量や運動量であり,それをエネルギーと結びつけてテンソルとよばれる数学的な形にまとめたのである。テンソルはこれらの物理量の局所的な密度を記述するひとつのやり方である。一般相対性理論では,テンソルは空間の曲率に関係している。空間の曲率は,われわれがもともとは重力とよんでいたものに相当する。したがって,新しい枠組みの中でもエネルギーの基本的重要性は失われていないが,その大切な性質である不滅性についてはあやしい雲行きとなってきた。膨張する宇宙を考えなければならない状況では,エネルギーは保存される必要がないのである。
 熱力学はあらゆることに口を出すが,ひとつのことについてそのすべてを語ることはないと言えよう。
 熱力学の歴史は,科学が到達したひとつの頂点とみなされていた理論が,捨てられ,他のものと入れ替えられたというお話である。それを考えると,科学が発見したものの中で,時間の洗礼を受けてもなお生き残るものがあるのだろうかという疑問にかられる。永遠に生き残る理論などないと言いきることはできない。しかし,フロギストン理論あるいは熱素理論(どちらも第3章で議論した)のような,今では消え去り,名前だけがその痕跡をとどめているにすぎない科学と,他の理論にとって代わられてきているけれども捨て去られてはいないような科学とは区別できる。後者には,たとえばニュートン力学が入る。ニュートン力学は,中くらいの大きさでゆっくりと運動しているような物体に対する近似として今では考えられているが,それでも問題へのアプローチのひとつとして残っている。また後者の分類に入るものとして,19世紀の形での熱力学第一法則もあげられる。第一法則は,エネルギーの概念が適用できる非常に幅広い範囲を今でもカバーしている。そして,量子力学,一般相対性理論,素粒子論がひとつの大きな統一理論に結合しても,ニュートンの法則や19世紀の熱力学は,それまでと同じく有用なものとしてほとんど確実に生き残るであろう。
 科学の研究者らは,自然科学と他の分野の学問との違いを,今述べたような基準で特徴づけようとしてきた。つまり,自然科学は,新たな発見にとって代わられるのではなく,新たな発見に取り込まれるのである。そのような科学は累積的とよばれる。人によっては,この特性が科学とそれ以外とを分ける境界線であると考えている。
 熱力学が熱素理論の運命をたどらないとは保証できない。しかし最後にアインシュタインの言葉を借りよう。

 理論は,その前提が単純であるほど,伝える内容が多岐にわたるほど,適用先が多いほど,その理論はより印象的なものになる。その点で,古典熱力学は私に深い印象をを与えてくれるものである。基本概念の適用という枠組みの中で捨て去られることがないと私が納得する理論は,普遍的内容をもった物理理論だけである。



訳者あとがき


 物理学の分野では,17世紀にガリレオ・ガリレイからニュートンにバトンタッチして行なった研究の成果を第一次科学革命と呼び,20世紀初頭の一連の発見・発明を第二次科学革命と位置づけている。第二次科学革命の支柱は,量子力学,相対性理論,および宇宙論である。
 マクロな大きさを持ち,かつ運動の速度が光速に比べてはるかに小さな物体に対しては,ニュートン力学が良い近似になる。広く知られているように,木から落ちるりんごの運動も,地球をまわる月の回転も,惑星の軌道も,すべてニュートン方程式で記述される。
 一方,ミクロな世界における原子や素粒子に対しては,ニュートン力学は無力になり,量子力学による記述が必要になる。エネルギーのとり得る値はとびとびであることや,量子力学的な対象は波動としての性質と粒子としての性質の両方を兼ね備えていることなど,量子力学の基礎概念は,人類がそれまで持っていた自然観をはるかに超えるものであった。さらに、「位置と運動量」のように対をなす共役な二つの物理量を,同時にかつ詳細に確定することはできないという「不確定性原理」は,物理学のみならず,
哲学や思想にも多大な影響を与えた。
 量子力学の知識を基盤にして,20世紀の科学技術は目も眩むばかりの発展を遂げてきた。半導体,超伝導体,レーザー,コンピュータ素子から,DNA分子の振る舞いに至るあらゆる分野に,量子力学の成果が及んでいる。そしていま,情報通信技術と生命技術における革命とともに始まった21世紀の科学・技術を支えているのも,量子力学である。 20世紀初頭の科学革命の次なる柱は,アインシュタインの相対性理論であった。ミクロな世界ではニュートン力学でなく量子力学が必要であったように,光速に近い速度で運動している物体に対しても,ニュートン方程式でなく別の考え方が必要だった。そこではアインシュタインの導入した相対論がニュートン力学に取ってかわった。特殊相対性理論は,時間と空間に関する人々の常識を打ち破った。高速で動いている系の時計は遅れ,長さが縮むといった話は,理論的に説明されても,実感としてはなかなか納得できないものである。
 20世紀になされたさまざまな発見・発明のなかで最たるものは,「膨張する宇宙」の発見であったと言われている。ハッブルによるこの発見は、アインシュタインの一般相対性理論を裏付けるものとなった。これらの知識を動員してわれわれは,ビッグバンという形で宇宙のはじまりを想像し,宇宙の未来を予測できるまでになった。

 こうして20世紀の物理学は,人類の過去のどの百年をとってもまったく比類のない進展を遂げ,森羅万象に関するわれわれの知識は限りなく深まった。物理学のそのような華々しい勝利のなかで,残された形になっているのが「時間の矢」の問題である。ニュートン方程式,量子力学の式,相対論の式のいずれをとっても,時間反転に対して支障は生じない。ビデオを逆送りに再生したとき見られる現象が,これらの式そのものでは許されるのである。高い飛び込み台からプールにダイビングした水泳選手は,逆送りの再生ではプールから自力で飛び出し,重力に打ち勝って空中を上昇し,最後に飛び込み台の上に立つ。しかし現実にはそういうことは決して起こらない。力学の方程式では起こって不思議
のないことであるにもかかわらずである。
 同様のことは,化学反応や生命現象でも現れる。薪が燃えて炭酸ガスと水蒸気の煙になりあとに灰が残ることはあっても,炭酸ガスと水蒸気と灰が自律的に集まって薪になることは決してない。赤ん坊は成長しやがて年老いるのが定めで,老人が何らかの手段で若返ることはない。物理現象も化学反応も生命現象も,順送りのみで,ビデオのように逆送りはない。時間は容赦なくひとつの向きにのみ進行する。これを「時間の矢」と呼んでいる。
 逆行不可能の時間の矢は,エントロピーの増大と関係している。エントロピーは,19世紀に確立された熱力学で導入された物理量である。その熱力学では孤立系に対して,「エネルギーは保存する」という第一法則と,「エントロピーは増大する」という第二法則が知られている。
 エネルギーは,機械を動かす力学的な仕事や,電気,熱などのさまざまな形をとることを,われわれは理解している。それを踏まえれば、エネルギー保存の法則は直観的にわかる気がする。無から有は生まれないという,至極あたり前のことを記述しているにすぎない,と思えるからである。一方,エントロピー増大の方は,そもそもエントロピーなるものが,目にも見えないし触わることもできないので,いまひとつ理解できない。把握できない量が,増えるの減るのと言われても,困ってしまう,というのが実情ではないだろうか。
 エネルギーについて書かれた本の多くは,人類が使用するエネルギーについてのもの,すなわち「いわゆるエネルギー問題」に関するものである。かたや「エネルギー保存」については,熱力学第一法則が広く論じられた19世紀後半の物理学の世界は別として,20世紀も二,三十年過ぎてからは,物理の専門書であるにせよ,入門的一般書であるにせよ、この「エネルギー保存」を真正面からテーマとして取り上げ,第一法則について延々と一冊の書物が記された例は,寡聞にして知らない。
 それにひきかえ,「第二法則」または「エントロピー増大」を扱った本は,書店の棚の一角を占領できるほどに多く出版されている。視点を変え、趣向をこらして,さまざまな著者たちが「エントロピー」を主題に本を書く。科学者なら一度は取り上げてみたいテーマなのかもしれない。エントロピーに関する新たな本を読むたびに,あっと思うような新たな発見がある。書く側にとっても読む側にとっても,エントロピーとは汲み尽せない泉のように興味深い主題なのである。

 この本の原書のタイトルは「冷蔵庫と宇宙」である。文字通り、冷蔵庫の仕組みから宇宙の成り行きに至るまで、ありとあらゆる自然現象が「エントロピー」をキーワードにして論じられる,というのが著者のメッセージだ。すなわち本書では,エントロピーを媒介にして,20世紀の科学の集大成が見事に語られる。
 日常生活の感覚での,エネルギー,仕事,力,エントロピーから説き起こし,冷蔵庫の仕組みと熱力学第二法則「エントロピー増大」を議論する。エントロピーはなぜ常に増大するのか,エントロピーと情報とはどのように関係しているかなど,話の運びに著者たちの工夫が光る。さらに,物理学,化学,生物学,地質学,量子力学における「エントロピー増大」の証拠が,これでもかこれでもかと突きつけられる。読み進むにつれ、われわれは本当にどうしようもなく「エントロピー」に支配されているのだと,体で感じるようになる。目につくこと,想像できることを,自分でも「エントロピー増大」の原理で説明してみたくなる。
 最後に宇宙の運命が話題になる。現在の宇宙は膨張していることは科学的に証明されているが,未来については見解が分かれている。このまま膨張しつづける,どこかで平衡に達してそのままとどまる,いずれどこかの時点で膨張が止まり収縮に転ずる,という三つの可能性が一般に挙げられている。そのいずれの場合にも,エントロピーは増大するという本書の説明は,なかなか説得力があって面白い。
 私は,勤務する慶應義塾大学理工学部において,物理学科の三年生を対象に,「物理学輪講」でこの本の原書を取り上げた。この輪講の目的は,学生たちに原書の読み方を学んでもらおうというもので,やがて英語で科学論文を日常的に読むための訓練を兼ねている。四カ月という限られた時間なので,二つの章を読むのがちょうど適切だった。最初に,十五の章のタイトルを示して,学生たちに読みたい章を投票で決めてもらった。第8章の「エントロピーはなぜ常に増大するのか」と第15章の「相対論と宇宙の運命」を学生たちは選んだ。もし私が,同じように章を二つだけ選びなさいと問われたら,やはりこのふたつを選んだことだろう。学生たちとの輪講は,毎回活気にあふれ,とても楽しかった。

 本書の訳者たち(米沢富美子,森弘之,米沢ルミ子)は,同じ顔ぶれで以前にもエントロピーに関する本の翻訳をしたことがある。その翻訳は『エントロピーと秩序 —— 熱力学第二法則への招待』(ピーター・W・アトキンス著,日経サイエンス社)という邦題で,1992年6月に一刷りが出版された。本書と同じように,式を使わずに話を進める一般向けの本であるが,内容は結構高い水準を保持している。
 爆発的なベストセラーではなく,着実なロングセラーを狙いましょう,と担当編集者が最初にうれしい言葉をかけてくださった。そして,この邦訳書は,その編集者の予想通りの運命を辿り,ちょうど十年後の2002年6月には,七刷りになった。現在,日本で出版される本の数が,毎日百数十冊から二百冊にも及ぶので,特別なヒット作品を除いては,新刊書も二,三年で絶版になるのが一般の相場である。こういう出版界の状況の中で,十年ものあいだ,絶版にすることなく増刷を続けていただいた出版社の見識の高さには敬意を表したい。
 そして,このロングセラーを支えてくださったのは,読者の方々である。ここでも,エントロピーの人気の根強さを垣間見る思いがする。
 本書の翻訳は,第1章から第3章までを米沢ルミ子が,第8章と第10章は米沢富美子が,残りの章は森弘之が担当した。最後に,米沢富美子が全体の整合性などに配慮しながら監修した。最終稿の文責は米沢富美子にある。不備な部分などに読者の皆様がお気づきになられた場合には,お手数でもどうかご指摘いただければ幸いである。
 本訳書を出版するために尽力をしてくださった各方面の方々に感謝の気持ちを表したい。また,東京電機大学出版局の徳富亨氏は,担当編集者として忍耐強く作業にあたり,丁寧に校正してくださった。徳富氏の誠実ながんばりがなければ,本書は世に出なかったかもしれない。心からの感謝を贈る。


目次

謝辞
第1章 日常におけるエネルギーとエントロピー
第一法則
 第二法則
 エントロピーを分子で見る
 量子力学と相対性理論

第2章 仕事と力
仕事
 水力
 摩擦
 ニュートンによる統合
 運動エネルギーとポテンシャルエネルギー

第3章 熱と仕事—第一法則
熱素理論の発展
 熱素理論が意味するところ
 比熱——物質の新しい性質
 論争のはじまり
 物理学の統一
 エネルギーの出現
 ジュールの結論
 解説① エネルギーのナットとボルト
 解説② 外部者,内部者,そして科学的貢献の受け入れ

第4章 ミクロな観点から見たエネルギー
分子運動のひとつのモデル
 ミクロに見た摩擦
 運動理論の構築,およびそのテスト
 勝利と失敗

第5章 エンジンと冷蔵庫—第二法則
熱エンジン,その可能性と不可能性
 間違った定理と正しい答——カルノーの貢献
 第二法則とその帰結
 エントロピー——物質の新しい性質
 解説 エントロピー変化とその決め方

第6章 第二法則の意味するところ
氷の熱エンジン
 一方通行の薄膜
 エントロピーと時間

第7章 分子レベルで眺めたエントロピー
コイン,サイコロ,カードに対する確率論
 秩序と乱れ
 分子の確率
 要点の確認——確率とエントロピー
 エントロピーは減少できるか
 和解
 ふたたび,温度とは何か

第8章 エントロピーはなぜ常に増大するのか
時間の矢
 トランプのシャッフルについてもう一度考えてみよう
 これまでに提案された解決策
 ニュートンの決定論的法則
 ランダムさ
 誤差とその結果
 カオス
 確率と分子

第9章 エントロピー,そして(または)情報
シャノンによる情報量の定義
 二進数
 情報とエントロピー
 マクスウェルの悪魔
 情報に払う代償はない?
 知性のある生き物と機械的な装置

第10章 放射エネルギー,黒体,および温室効果
光とは何か
 高温物体からの放射
 第二法則が教えてくれるもの
 黒体放射
 実際的な結果

第11章 化学——ダイアモンド,血液,鉄
物理的変化と化学的変化
 「熱力学的に可能な」反応は実際に起こらなければならないのか
 平衡状態
 柔軟性のある平衡状態

第12章 生物学——筋肉,腎臓,進化
筋肉の仕事
 化学エンジン
 熱力学と創造説信者

第13章 地質学——地球の年齢は?
地球内部での熱の流れ
 放射能と地球年齢

第14章 量子力学と第三法則
量子力学——新しい分子論
 量子力学の基本概念
 量子力学と熱力学——何が変わって何が変わらないか
 第三法則

第15章 相対性理論と宇宙の運命
特殊相対性理論
 なぜE=mc2 なのか
 一般相対性理論
 ブラックホール
 一般相対性理論がいかに第一法則と第二法則を変えるか
 宇宙の運命
 解説① 相対的時間
 解説② 結合エネルギー曲線

あとがき
付録 数学の道具
訳者あとがき
索引


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