脱芸術/脱資本主義論 来るべき〈幸福学〉のために
価格:3,300円 (消費税:300円)
ISBN978-4-7664-0823-2(4-7664-0823-3) C0070
奥付の初版発行年月:2000年09月 / 発売日:2000年09月上旬
貧富の差を広げ人々を疲弊させる現代資本主義のあり方に疑問を呈する評論集。「脱芸術」への考察や近・現代美術への論考を通じ、人々が自発的に共働できる「がんばらなくてもいい社会」の可能性を模索する。
熊倉 敬聡(くまくら たかあき)
1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。パリ第7大学博士課程修了(文学研究専攻)。現在、慶應義塾大学助教授。現代芸術論、フランス文学専攻。
著書:『女? 日本? 美?』(編著、慶應義塾大学出版会、1999年)。『脱芸術/脱資本主義』(共著、慶應義塾大学アート・センター、1999年)。論文:L’“economie politique ” chez Stephane Mallarme (Universite Paris 7, 1991)、ほか。
目次
はじめに——若い人たちへ
1 「がんばる」という悪徳?
2 資本主義は本当に終わるのか?
3 超美学的文化のグローバリゼーション
4 新たな〈幸福学〉へ
第一部 脱芸術/脱資本主義
I 野村誠、ソロス、地域通貨——脱芸術/脱資本主義をめぐる三つのスケッチ
1 『わいわい音頭』——野村誠と老人たちの愉快な「作曲」
2 ジョージ・ソロスの「開かれた社会」——「超資本主義」の〈脱資本主義〉的運用?
3 地域通貨の挑戦——複属・複業的社会に向けて
II 来るべき〈幸福学〉へのノート——がんばらなくてもいい社会に向けて
III 嶋田美子——「女」とは? 「日本」とは? 「アイデンティティ」とは?
1 引き裂かれた「女」、そして関係の不均衡
「従軍慰安婦」/「現代日本女性」
マジック・ミラー——〈自己〉に幽閉する日本人
2 千人針、あるいは日本的マゾヒズム
「千人針」
日本的マゾヒズム——〈母性〉と「永遠なる少年」
日本の象徴系の両義性——サディズムへと豹変するマゾヒズム
3 脱アイデンティティ的コミュニケーションへ
『Sleeping with Your Enemy』——「日本人」の「女」であることの意味変容
アイデンティティから脱アイデンティティへ
IV 「死」の教室から「生」の教室へ——ボイスとシュタイナーの余白に
V ダムタイプ——愛=交通としての身体へ
1 現代の〈身体〉と二つの脅威
「情報汚染」
情報化によるエイズからの救済?
2 情報化にさらされる/に抗する〈身体〉
《036—Pleasure Life》 《Pleasure Life》
《pH》
3 《S/N》——脱芸術的実践へ
パフォーマンス《S/N》——私は「OUT」している、ゆえに私はここにいる
ARTとACTの狭間から
[インタビュー]ダムタイプとコラボレーション(古橋悌二/小山田徹/熊倉敬聡)
第二部 「芸術の死」から脱芸術へ
I アドルノ、ブランショ、グリーンバーグ——批評におけるモダニズムというイデオロギー
1 三人の批評家を比較する
2 「近代芸術」の諸特徴
3 モダニズム的芸術観の三つの問題点
4 ブランショの転身
II コラボレーションの脱資本主義的可能性について——ロシア・アヴァンギャルドを中心に
1 コラボレーション=ポストモダン?
2 社会主義思想におけるコラボレーション=共働の意味
3 近代芸術の反資本主義性
4 ロシア・アヴァンギャルドにおけるコラボレーション——労働vs芸術の止場に向けて
コラボレーションの自由意志的「組織化」
コラボレーションの脱資本主義的可能性
III 大竹伸朗——失われた近代を求めて
1 大竹の〈魅力〉の構造
2 ノスタルジーとしての〈近代〉、あるいは「東京」の悪魔祓い
IV IDEAL COPY
1 「シミュレーショニズム」の彼方へ
「シミュレーショニズム」の限界
システム・制度のexhibition
2 脱資本主義的芸術に向けて
芸術の三つの死、あるいは第四の道?
トランス・メディア・ワーク
Channel:FACE OF 10 ARTISTS あるいは脱走できなかった写真
Channel:OPEN あるいは「伝染」するIC
Ch:Public Subscription——リゾームあるいは「開かれた連」
脱資本主義的芸術へ?
おわりに——初出ならびに謝辞