暁のアーカイヴ 戦後日本映画の歴史的経験
価格:5,280円 (消費税:480円)
ISBN978-4-13-080221-5 C3074
奥付の初版発行年月:2019年07月 / 発売日:2019年07月下旬
目次
序章 アーカイヴの時代に映画を語る
1 「映画のうしろ姿」
2 映画の生,死に臨む生
3 アーカイヴの亡霊
第1部 瓦礫の中から――敗戦と被占領の諸相
I 敗戦後日本のヘテロトピア――映画の中のヤミ市をたずねる
1 映画の中の都市――東京の場合
2 映画の都市表象としてのヤミ市
3 敗戦と時空の歪み――占領期(1940年代後半)
4 女たちの生きる場所――ポスト占領期(1950年代)
5 暴力による秩序――高度経済成長期(1960年代)①
6 敗戦の理念――高度経済成長期(1960年代)①
7 挫かれた復員――「戦後」末期(1970年代初頭)
8 ヤミ市表象の政治的無意識に向けて
後記(2019年)――生存権をめぐる闘い
II 出会いそこないの道程――黒澤明とアメリカ
1 監督ジョン・フォードとの不確かな出会い
2 鑑(かがみ)としてのアメリカ映画
3 アメリカ軍とのすれ違い
4 「超越的審級」としてのアメリカ
5 映画の予期されぬ出会い
III 占領下アメリカ製教育映画についての覚書――ナトコ(映写機)とCIE映画
1 占領期の教育映画政策の概略
2 ナトコの「受け入れ」の実態
3 CIE教育映画を求めて
IV 敗者の映像――CIE映画教育と日本製CIE映画
1 敗者も映像を持った
2 CIE映画教育とそのギャップ
3 日本製CIE映画の多様性
4 日本製CIE映画の曖昧さ
5 敗者のヴィジョン
第2部 共同を求めて――岩波映画から土本典昭へ
V 「暁にあう」まで――「岩波映画」と見ることの社会的創造
1 岩波映画製作所と「岩波映画」
2 戦後の短編映画業界と岩波映画製作所
3 「岩波映画」的なものの驚き
4 「岩波映画」的なものの系譜
5 見ることの楽しき知
VI 見えるものから見えないものへ――『社会科教材映画大系』と『はえのいない町』
1 忘れられた教材映画とその映像論
2 見ることの「新教育」――「初期社会科」と『社会科教材映画大系』
3 経験の間接性と視点の他者性――『社会科教材映画大系』 の潜在的な問い
4 見えないものの方へ――作品『はえのいない町』の事例研究
VII 活動とは別の仕方で――土本典昭の作品における映画的身体の生成
1 表象としての「人とカメラとの関係」
2 活動する身体としての協働――土本典昭の初期作品
3 「間接話法」の挫折――『水俣の子は生きている』①
4 活動とは別の仕方で――『水俣の子は生きている』②
5 身体の新たな賦活――『留学生チュア スイ リン』
VIII 声と顔のアレンジメント――『水俣――患者さんとその世界』論
1 声と顔のずれ
2 奈落から立ち上がる声
3 非同期の力
4 漂い出る声たちの交響
第3部 孤独のゆくえ――俳優たちと作家たち
IX ゆく者を送るまなざし――高峰秀子と顔の時
1 「戦中派」高峰秀子の撮られなかった顔
2 「作り笑い」が血にまみれる――スターの顔と他者の時
3 「真実の顔」が演じる――俳優の顔と時の終わり
4 「不美人」を創る――作家の顔と回帰する時
X 特攻隊が似合わない男――高倉健の不穏な肉体
1 客分と主人
2 ヒーローとしての鶴田浩二と高倉健
3 特攻隊映画の論理と高倉健
4 「闘争の根元であるところへの攻撃」
XI 外傷の絵/贈与の物語――北野武の映画についての覚書
1 外傷イメージの構造
2 バスター・キートンと北野武
3 物語を生まない贈与
4 絵と物語の拮抗
XII 生命の切れ端――相米慎二の映画における下半身の想像力
1 「主題」としての下半身
2 男性的セクシュアリティの楕円――『翔んだカップル』『風花』
3 男たちと卵の謎――『台風クラブ』から『あ,春』へ
4 女たちと無機物の愛――『魚影の群』/『光る女』
5 人影のダンス――『東京上空いらっしゃいませ』
後記(2019年)――〈相続放棄〉と子どもの身体
終章 喜劇は到来する――森﨑東の映画における反逆の論理
1 悲劇的/喜劇的
2 喜劇ここに始まる(インキピット・コメディア)――罪を負う敗者と脱領土化
3 喜劇的なものの怪物が生まれる――『喜劇 特出しヒモ天国』
4 悲劇的なものの亡霊を異化する――『黒木太郎の愛と冒険』
5 終わりなき反逆
後記(2019年)――有罪性の社会的構築へ
Archive at Dawn:
Historical Experiences of Postwar Japanese Cinema
Hideyuki NAKAMURA