科学コミュニケーション叢書
ジャーナリズムは科学技術とどう向き合うか
価格:2,750円 (消費税:250円)
ISBN978-4-501-62420-0 C3330
奥付の初版発行年月:2009年04月 / 発売日:2009年04月中旬
MAJESTyの取り組みとジャーナリズム,メディアに携わる側の視点
本プログラム(MAJESTy)は,新興分野人材である「科学コミュニケーター」養成を意図する科学技術振興調整費(人材育成部門)を得て,大学院政治学研究科修士課程として2005年より5年計画としてスタートした。本プログラムの最大の特徴は,「科学コミュニケーター」養成を「科学技術ジャーナリスト」養成と読み替えたところにあり,そのスタンスは単に専門家としての科学者のもつ情報を非専門家としての一般の人々に伝えるだけでなく,一般の人々(Tax Payer)の立ち位置に近い視点で科学者の研究を批判的に検証する役割をあわせもつ。
では,このような科学技術ジャーナリストをいかに養成していくのか。
準備段階で海外の先行事例を徹底的に調査した結果,実際に学生を募集するより前に,被養成者ならびに第三者に対して2つのポイントを明確にアナウンスする必要性を認識した。その2つとは,プログラムの愛称,そしてプログラムの教育理念である。前者については,マサチューセッツ工科大学訪問で滞在していたボストンのホテルでMAJESTyという名称を思いついた。正規の修士課程(Master of Arts)プログラムであり,ジャーナリスト教育(Journalist education)を科学技術(Science and Technology)の分野で行っていくのだから,これに勝る愛称はなかなかあるまい。
教育理念については,5人の助手たちと討議を重ねて「科学技術ジャーナリストに必要とされる5つの要素」を制定した。具体的には,①科学技術の理解,②ジャーナリズムとメディアの理解,③建設的批判精神,④現場主義,⑤実践的スキル,である。このコンセプトに基づいて,必要と考えられる具体的な授業科目を設置した。
本プログラムでは,「ジャーナリスト教育は理論や歴史などの座学だけでは達成できない」との信念に基づき,実践的カリキュラムを構築することに重点を置いた。そのため,養成者として文系・理系それぞれのバックグラウンドをもつ教育に加え,メディアやジャーナリズムの現場の第一線で働く専門家たちを教員として招くことで,ライティングや取材スキル,情報発信などの力を身につけさせるための実習科目を充実させ,またインターンシップを必修科目として位置づけた。日々の教育を通じて見えてきた改善点をただちにプログラムに反映させることができるようなフレキシブルな体制をとっている。
さらに,通常の正規科目による講義や実習だけではカバーしきれない,科学技術やジャーナリズムの話題としてタイムリーな題材を取り上げる場として,あるいは本プログラムで学んだ学生たちの将来の職場で,現在どのようなことが問題として認識されているかを共有する場として,定期的にMAJESTyセミナーという公開型セミナーを実施している。くわえて,助手や被養成者である学生たちが企画する,一般には非公開のワークショップを随時開催している。ワークショップは同時にまた正規科目化する可能性のあるトピックについての試験的な授業という位置づけもあり,実際にワークショップを実施した結果,翌年度から正規科目化した例もある。
本書に収録されている原稿の多くは,じつはこのMAJESTyセミナー,ワークショップでの講演記録をベースとしている。本書は同時刊行される姉妹編『科学技術は社会とどう共生するか』と内容的に対をなすようにデザインされているが,過去に蓄積されてきたMAJESTyセミナー,ワークショップの講演記録のなかから,MAJESTyの教育に直接携わる立場の者かどうかは別として,主としてメディアやジャーナリズムに軸足を置いて科学技術を考える立場で考察された論稿を集めたのが本書である。アカデミアに属する者と,メディア企業やジャーナリズムの領域にあって日々研鑽を積んでいる者とが,立場の違いを超えて科学技術という同じ領域でキャッチボールしてきた記録,といっても過言ではない。
日本のマス・メディア産業においては伝統的にOJT(On-The-Job Training)でのジャーナリスト教育が伝統的であり,大学・大学院はジャーナリスト教育の場としてみなされてこなかった。本プログラムが開発してきたような,実践的スキル獲得を重視しつつ,かつ理論や歴史などの知識も学べるかたちでのジャーナリスト教育プログラムは,今後マス・メディア産業側の潜在的な需要を引き出していくであろう。
本プログラムの教育が着実に成果をあげつつあることは,「科学コミュニケーター」養成という側面だけでなく,大学におけるジャーナリスト養成という観点からも注目を集めている。本プログラムの置かれている大学院政治学研究科では,2008年度からは研究科内にコース制を敷くこととし,そのひとつとして「ジャーナリズム・コース」を新設した。これは科学技術という分野に特化したジャーナリスト養成としてデザインされた本プログラムをモデルに,政治学研究科を担い手としてジャーナリスト教育全般を行っていくことを早稲田大学として明確に定めたということである。
新聞を読んでいても,テレビのニュース番組を観ていても,科学や技術にかかわるトピックに接しない日はない。科学の分野で未知の領域がますます解明され,技術の分野で日進月歩の進歩がある昨今,それらに付随する倫理的な問題点などもまた複雑な様相を呈すようになってきている。すべてのジャーナリズムの領域のなかで,科学技術という分野が今後ますます重要な分野となっていくことは論をまたないし,科学技術と正面から向き合うことなくジャーナリズムはその使命を果たしえないであろう。
本書で示すことができたのは,ジャーナリズムやメディアの側からの,いくつかのそうした視点の提示にすぎない。だが,本書がきっかけとなって,MAJESTyで蓄積されてきた知見やノウハウが,今後の大学という場とジャーナリズムの現場とをつなぐ共通の資産となり,かつ大学におけるジャーナリスト教育のプロトタイプとなっていくことは十分に期待できるのではないだろうか。
目次
はじめに
科学技術ジャーナリストに求められるもの 養老孟司
科学への疑問
内なる動機が社会を変える
「崖登り」「塀の上」「政治」
情報は止まっている
違いのわからない人間
ジャーナリズムの客観性
「違う」と「同じ」
おわりに
第Ⅰ部 歴史的観点から
第1章 知の歴史とジャーナリズム 谷藤悦史
1.1 「新哲学運動」から学術ジャーナリズムの誕生へ
1.2 転換期の18世紀—拡大する知の集積と普及
1.3 19世紀における知とジャーナリズム
1.4 20世紀と大衆新聞の時代
1.5 20世紀と放送の時代そして競争
1.6 知の集積の変容とジャーナリズムの将来
第2章 科学技術の近代的編制について考える −51C論争を手がかりに− 小林宏一
2.1 「世界の脱魔術化過程」の帰結
2.2 51C論争から見えてくること
2.3 科学技術ジャーナリズムの課題
Column
第3章 急成長の50年,極論すれば「失敗に次ぐ失敗」だった −この教訓を次の50年に生かそう!− 柴田鉄治
3.1 科学報道元年は1957年,わずか50年の歴史
3.2 産みの親は原子力; 育ての親は宇宙開発
3.3 50年の足音は試行錯誤の連続,決して平坦ではなかった
3.4 「複眼」で見ることが足りなかった原子力報道
3.5 社会に警鐘を鳴らしそこねたサリドマイド禍・薬害エイズ・水俣病
3.6 企業・行政・学会がぐるになっての策謀が見抜けなかった水俣病報道
3.7 日本の臓器移植に31年間の空白を生んだ「和田・心臓移植の暴走」
3.8 「魚の焼け焦げに発がん性」報道の誤った波紋
3.9 解説者から批判者,監視者へ,そして決定に参画する当事者へ
第Ⅱ部 最前線の現場から
第4章 地方紙から世界を見る 飯島裕一
4.1 はじめに
4.2 信濃毎日新聞
4.3 なぜ科学記者に
4.4 科学報道の取り組み
4.5 チェルノブイリ取材
4.6 開かれた新聞づくりを模索
4.7 求められる高い志と情熱
追信
第5章 科学技術ジャーナリズムの現在 −日本とアラブ− Tarek Mohamed Alabyad・柴田鉄治・Wisam Salameh・桶田 敦・小林宏一・高橋真理子
5.1 基調講演
5.2 パネルディスカッション
第6章 「社会のなかの科学」を伝える −水問題と地域づくりの視点で− 佐藤年緒
6.1 世界とのつながり
6.2 科学が社会に活かされる条件とは
6.3 科学技術だけでは解決できない事例
6.4 科学と社会との関係を見て
6.5 科学に地域からの視点を
6.6 現場から発するジャーナリストに
第7章 危険領域に足を踏み入れる −チェルノブイリ・イラン・北朝鮮の科学事情− Richard Stone
7.1 はじめに
7.2 科学誌『Science』
7.3 報道する価値を判断する5つの基準
7.4 科学ジャーナリストの取材源
7.5 シベリア1—クローンマンモス
7.6 シベリア2—ヴィリュイスク脳脊髄炎
7.7 カザフスタン—セミパラチンスク核実験場
7.8 北朝鮮の科学事情
7.9 ウクライナ—チェルノブイリ原発
7.10 イランの科学事情
7.11 質疑応答
第8章 科学ジャーナリストはなぜ必要か −「発掘!あるある大事典Ⅱ」事件と科学リテラシー− 瀬川至朗
8.1 はじめに
8.2 ジェネラリストを重視するメディア企業
8.3 「狭義」と「広義」の科学ジャーナリスト
8.4 科学を軽んじた「発掘!あるある大事典Ⅱ」
8.5 科学ジャーナリストの強み
8.6 社会を見据えた「文脈力」
8.7 科学リテラシーは21世紀の教養
第Ⅲ部 新たな視点から
第9章 ブランゲ文庫を利用した占領期科学技術報道検証の可能性 山本武利・谷川建司
9.1 ブランゲ文庫とは
9.2 データベースの作成
9.3 データベースを利用した科学技術関連記事の検索
9.4 科学技術とデータベース
第10章 長崎市平和公園にまつわる言説の推移 −ブランゲ文庫の新聞記事分析− 漆原次郎
10.1 長崎「平和公園」
10.2 富豪所有の庭球場が「爆心地」に
10.3 当時の新聞記事を追う
10.4 飛行場につけられた「ATOMIC−Field」
10.5 多数のいのちを奪った「偉大」な「人気者」
10.6 アトムを受け入れた長崎と日本
10.7 活字の海に新たな知見を求めて
第11章 戦後サブカルチャー表象にみる科学技術への批判的視点 −鉄腕アトム,ウルトラマン,HAL9000− 森 達也
11.1 はじめに
11.2 「科学技術への批判的視点」を含む3つの事例
11.3 まとめ
第12章 ドキュメンタリーとジャーナリズム 森 達也
12.1 はじめに
12.2 映像と通信の歴史
12.3 メディアによる負の歴史
12.4 ドキュメンタリーはフェイクだった
12.5 公正中立,不偏不党をうたうメディア
12.6 ドキュメンタリーの定義
12.7 ジャーナリズムとメディアの問題と希望
12.8 サイエンスを意識する
12.9 質疑応答
第Ⅳ部 討論
第13章 理系白書シンポジウム「科学技術をどう伝えるか』−ジャーナリズムの可能性− パネリスト:元村有希子・松本俊博・湯本博文・横山広美・西村吉雄 司会:瀬川至朗
13.1 パネリスト講演
13.2 パネルディスカッション
第14章 検証!科学報道 −歴史的視点から未来を見据える− パネリスト:御代川貴久夫・斉田康隆・仲屋 淳・利田 敏・瀬川至朗 司会:谷川建司
14.1 はじめに
14.2 「科学(環境)情報のフィルタリング」
14.3 事例報告
14.4 論点整理:瀬川至朗
14.5 パネルディスカッション