ジョン・ラスキンと地の大聖堂
価格:6,380円 (消費税:580円)
ISBN978-4-7664-1749-4 C3070
奥付の初版発行年月:2010年07月 / 発売日:2010年07月上旬
「山は、自然の造りし大聖堂である」
▼詩人、画家、美術批評家、地質学者、社会思想家——ジョン・ラスキンは19世紀の思想・芸術において最も影響を及ぼした人物の一人である。
▼ラスキンが愛した土地は、水の都ヴェネツィアとアルプスの山々に抱かれる町シャモニーであった。彼はシャモニーへ幾度となく訪れ、山について地質学的研究を試みながら、水彩画、版画、銀板写真などで山岳美を表現しつづけた。
▼19世紀、近代登山誕生の時代、「美の先導者」はどのように山と生き、山を理解したか。アルプスを舞台にラスキンの人生を辿る、異色の評伝。図版多数。
【著者】
アンドレ・エラール
1939年、フランスのモルレー(フィニステール県)に生まれる。古典文学の教授資格を持つ。1974〜99年、レンヌのリセ・シャトーブリアンのグラン・ゼコール準備クラスでフランス文学、ラテン語、ギリシア語を教える。ドレフュス事件の研究者でもある。著書にRennes et Dreyfus en 1899, une ville un procès(共著、1999年)、L’honneur d’une ville, la naissance de la section rennaise de la Ligue des Droits de l'Homme(2001年)L’affaire Dreyfus, nouveaux regards, nouveaux problèmes(共編著、2007年)などがある。
【訳者】
秋山康男(あきやま やすお)
財団法人ラスキン文庫理事長。1954年、東大法卒、朝日新聞社入社。1963〜73年にかけてパリ、カンボジア、ジュネーヴ駐在。出版編集委員を経て、英字季刊誌ジャパン・クォータリー編集長。1991年、朝日新聞文化財団常務理事から財団法人ラスキン文庫常務理事を経て、2002年同理事長。1997年、フランス文化省より芸術文化勲章オフィシエを受勲。2005年イギリス、ランカスター大学ラスキン計画名誉客員フェロー。著書に『白い北欧』(朝日新聞社、1972年)、訳書に『レーガンのアメリカ』(ギ・ソルマン著、新潮社、1984年)、『「原理主義」台頭の時代』(ギ・ソルマン著、文芸春秋社、2005年)、『二十世紀の思想家たち』(ギ・ソルマン著、新潮社、1990年)などがある。
大社貞子(おおこそ さだこ)
翻訳家。福岡県生まれ。西南女学院専門学校英語科卒業。インドネシア国営石油会社(プルタミナ)東京代表部を定年退職後、翻訳の仕事をはじめる。訳書にシャーリー・テンプル・ブラック『シャーリー・テンプル』上下(平凡社、1992年)、ロベール・ド・ラ・シズランヌ『ラスキンと美の宗教』(野に咲くオリーヴの会、2004年)、共訳にM・A・ウォ−ド『カーライル、ラスキン、トルストイ』(ぱる出版、1999年)がある。
目次
刊行によせて(宮下啓三)
まえがき(秋山康男)
序文 ラスキンの石について
第一部 山の発見へ(一八二三年〜一八三五年)
第一章 青い山々
第二章 あそこに、エギーユが!(一八三三年)
第三章 とどまれ、とどまれ、そして眺めよ、あれはシャモニーだから!(一八三五年)
第二部 ソシュール、ターナー、クーテットを道案内として(一八四二年〜一八四四年)
第四章 私がしたい仕事……(一八四一年〜一八四二年)
第五章 夜明けに孤立した山の頂上に立ち給え……(一八四三年)
第六章 新しいガイド、ジョゼフ・クーテットとビュエに登った(一八四四年)
第七章 私はアルプスの真の秘密のいくつかに近づいた(一八四四年の日記)
第三部 ヴェネツィアとシャモニ−のあいだ……(一八四五年〜一八五六年)
第八章 私の本当の国(一八四五年〜一八四六年)
第九章 シャモニ−では、革命はなかった(一八四七年〜一八四九年)
第十章 私は『ヴェネツィアの石』の代わりに『シャモニーの石』を書いていただろう……(一八四九年〜一八五六年)
第十一章 山の美について、あるいはシャモニーの石(一八五六年)
第四部 失われ、見出されたたシャモニー(一八五六年〜一八八八年)
第十二章 シャモニ−は完全に汚染された(一八五六年〜一八六五年)
第十三章 アルパイン・クラブの紳士たち……(一八六五年)
第十四章 親愛なるシャモニーの老ガイドは逝った(一八六五年〜一八七七年)
第十五章 雲なきシャモニーの雪のやすらぎの下に(一八七七年〜一九〇〇年)
謝辞(アンドレ・エラール)
ジョン・ラスキン略年譜
あとがき(大社貞子)
参照文献
図版一覧