日本教育史 教育の「今」を歴史から考える
価格:3,300円 (消費税:300円)
ISBN978-4-7664-2131-6 C3037
奥付の初版発行年月:2014年04月 / 発売日:2014年04月中旬
(1)教育史の全体的な推移を、〈習俗としての教育〉〈組織としての教育〉〈制度としての教育〉という三つの段階を通して捕捉するという、独自の教育史像を提示している。
(2)〈制度としての教育〉が「国家による国民形成」として推し進められている様態を「近代教育」としてとらえ、「近代教育」をめぐる諸問題を日本の事例を通して考察している。
(3)「国家による国民形成」を教育の基本型と見なす発想を相対化し、それを克服するためのオルターナティブとして「個々人の生の充実」という視点を打ち出している。
(4)「近代教育」が発足・確立した明治以降を中心とする、古代から現代までの日本の教育の歴史を、この1冊で概観することができる。
目次
はじめに―― 本書の前提となる諸問題
(1) 「教育」の含意について
(2) 「教育史」叙述の射程について
(3) 教育史学における学問的関心の所在について
(4) 教育史研究の意義・目的について
第一章 「組織としての教育」の胎動と進展―― 古代・中世
一. 古代における教育の組織化動向
文字学習と古代の教育組織
庶民階層の教育
二. 中世における教育の組織化動向
中世社会と文字学習
往来物の普及
教育組織の高度化
足利学校と金沢文庫
中世における教育文化の傾向
庶民階層の教育組織化動向
第二章 近世における教育組織化の諸動向
一. 教育組織化の契機―― 「文字社会」の成立
兵農分離と文書行政
村の自治と村請
都市と商品経済の発達
出版文化の広がり
二. 幕藩体制と民衆教化下の教育政策―― 一八世紀末までの政策動向
幕藩体制と民衆教化
池田光政と閑谷学校
享保の改革と民衆教化
寛政の改革と教育政策
昌平坂学問所の来歴と改革
幕府による洋学摂取
三. 「教育爆発」の諸相―― 多様な教育組織の出現と普及
手習塾の普及
学問塾の開設と普及
藩校の開設
第三章 江戸時代の「学び」―― 「組織としての教育」段階での学び
一. 文字の学び(手習い)
手習塾の概要
手習塾での学び
二. 儒学の学び
儒学という学問
素読
講義
会業
三. 江戸の「学び」の教育的意義
自学自習の教育文化
学びの身体性
人間形成の学
儒学の教育的遺産
第四章 「近代教育」の発足(その一)―― 「学制」制定とその教育理念
一. 維新直後の教育政策
教育制度化への契機
教育政策の基本方針
諸学校の再興
教育制度の調査・策定
小学校の開設
諸藩の教育改革
大学南校と貢進生
二. 「学制」の制定
廃藩置県の断行と文部省の設置
「学制」の頒布
「学制」の理念
「学制」の教育行政組織
「学制」の学校組織
進級と学校経費
三. 「学制」の実施
「学制」下の教育行政
「学制」下の小学校
中学校・外国語学校
大学・専門学校
師範学校
四. 「学制」に対する批判
「学制」の問題点
民衆暴動の勃発
第五章 「近代教育」の発足(その二)―― 「教育令」の制定と改正
一. 「教育令」の制定
田中不二呂とD・マレー
自由教育令
「教育令」の内容
「教育令」に対する批判
二. 「教育令」の改正
改正への動向とその趣旨
第二次「教育令」の内容
三. 諸規則の制定
諸規則制定の趣旨
カリキュラム
教員養成
教科書制度
「教育令」の再改正
第六章 「近代教育」の発足(その三)―― 復古主義の台頭
一. 一八八〇年前後の政治・社会的背景
自由民権運動
天皇親政への要求
二. 「教学論争」
明治天皇の地方巡幸
「教学聖旨」の内容
「教育議」と「教育議附議」
三. 「教学論争」以後の文教政策
「教育令」と復古主義
「教育令」改正と復古主義
『幼学綱要』の刊行
第七章 「近代教育」の確立(その一)―― 森有礼文政期の教育改革
一. 立憲国家体制づくりへの布石
憲法調査
華族令
内閣制
官僚任用制度
地方行政制度
二. 初代文相森有礼の経歴と思想
森有礼の略歴
森有礼の教育思想
三. 森有礼の教育改革
帝国大学
小学校
中学校
師範学校
その他
四. 森有礼と国体主義
「閣議案」
国体主義と国家主義
第八章 「近代教育」の確立(その二)―― 「教育勅語」の渙発
一. 「教育勅語」の成立過程
徳育論争
地方長官会議
山県内閣の対応
「教育勅語」の起草と成立
二. 「教育勅語」の内容とその普及
「教育勅語」の内容
勅語奉読式の実施
修身教育の展開
『勅語衍義』の刊行
第九章 「近代教育」の確立(その三)―― 明治後半期の教育改革
一. 教育行政の制度的枠組み
大日本帝国憲法での教育規定
教育立法の勅令主義
学制改革問題と高等教育会議
二. 初等教育の改革
第二次「小学校令」
諸規則の制定
第三次「小学校令」
「小学校令施行規則」
国定教科書制度の成立
義務教育年限の延長
三. 中等教育の改革
「中学校令」の改正
「高等女学校令」の制定
「実業学校令」の制定
四. 高等教育の拡充
「高等学校令」の制定
「専門学校令の制定
帝国大学の増設
五. 教員養成制度の拡充
「師範教育令」
「師範学校規程」
六. 明治期における「近代教育」の達成
第一〇章 「近代教育」の確立(その四)―― 明治期の教授理論
一. 近代教授理論導入前史
伝統的学習方法のその後
一斉教授方式の導入
二. 開発主義教授法の普及
高嶺秀夫の開発主義
『改正教授術』
開発主義教授法の普及と問題
三. ヘルバルト主義教授理論の導入と展開
ヘルバルト主義の導入
ヘルバルト主義の普及
ヘルバルト学説の概要
ヘルバルト主義教授理論
定式化された教授方法の問題
四. ヘルバルト主義批判と新教育の萌芽
社会的教育学
樋口勘次郎の活動主義
谷本富の自学輔導
新学校の創設
第一一章 「近代教育」の見直し(その一)―― 大正新教育運動
一. 大正新教育運動の背景
時代閉塞と近代的自我
大正デモクラシー
欧米新教育の伝播
二. 大正新教育運動の動向
拠点としての新学校
師範学校附属小学校
私立小学校
三. 成城小学校の教育実践
沢柳政太郎という人物
創設趣意とカリキュラム
ダルトン・プランの導入
四. その他の動向
八大教育主張
芸術教育運動
綴り方教授
自由大学運動
五. 新教育運動の挫折と限界
川井訓導事件
新教育運動の退潮
大正新教育運動の限界
第一二章 「近代教育」の再編(その一)―― 大正期の教育改革
一. 臨時教育会議の発足と構成
教育調査会
臨時教育会議の発足
二. 答申に基づく教育制度改革
大学の制度改革
高等学校の制度改革
専門学校の拡充と女子教育
義務教育費の国庫負担
社会教育行政
三. 文政審議会とその後の教育改革
文政審議会の設置
軍事教練の導入
青年訓練所の設置
幼稚園制度
第一三章 「近代教育」の再編(その二)―― 昭和戦前期の教育
一. 昭和初期の教育状況
経済恐慌下の子どもと教師
教員組合運動と新興教育運動
生活綴り方教育運動
郷土教育運動
二. 思想対策と教学刷新
国民道徳論
思想対策問題
国体明徴と教学刷新評議会
三. 戦時体制下の教育改革
教育審議会
青年学校
国民学校
中等学校
その他の制度改革
第一四章 「近代教育」の再編(その三)―― 戦争と教育
一. 総力戦体制下における教育施策
総力戦体制
在学年限の短縮
学徒動員
学校の転換
学童疎開
教育の空洞化
二. 植民地支配における教育
植民地の範囲
植民地教育の基本的特徴
台湾における植民地教育政策
朝鮮における植民地教育政策
関東州および満鉄付属地における植民地教育政策
日本人子女への教育
満州国における教育政策
近代教育の暗部
第一五章 「近代教育」の見直し(その二)―― 戦後新教育の動向
一. 終戦直後の教育政策動向
占領教育管理機構の設置
終戦直後における文部省の施策
GHQの四大教育指令
アメリカ教育使節団報告書
二. 新教育の制度的枠組み
教育刷新委員会の設置
教育勅語問題
教育基本法の制定
新しい教育法制の確立
三. 新教育の実施
新学制の発足
新教育課程の発足と社会科の誕生
新しい教育実践の推進
第一六章 「近代教育」の再興(その一)―― 講和・独立後の教育政策動向
一. 新教育に対する批判
学力低下問題
民間教育研究運動団体による批判
二. 講和・独立と戦後新教育の再編
冷戦をめぐる教育政策
「逆コース」の始動
講和・独立後の教育政策動向
三. 社会科の変容と道徳教育の強化
社会科の変容
道徳教育の強化と「学習指導要領」の変容
第一七章 「近代教育」の再興(その二)―― 高度経済成長と教育
一. 高度経済成長下の教育政策
経済界の教育要求
教育投資論・教育計画論
道徳教育と「人づくり」
二. 「期待される人間像」と「第三の教育改革」
「期待される人間像」
「四六答申」
教育内容の現代化
教科書検定と教科書裁判
三. 様々な「教育問題」の顕在化
「詰め込み」と「落ちこぼれ」
校内暴力
「教育問題」の含意
第一八章 「近代教育」の混迷―― 国家統制と市場原理
一. 臨時教育審議会とその後の教育改革
臨時教育審議会設置の経緯
臨時教育審議会答申の内容
答申に基づく教育制度改革
その後の教育改革
二. 「ゆとり教育」の推進とその問題
「ゆとり教育」の実施経緯
「ゆとり教育」批判と「ゆとり教育」の後退
三. 教育政策の今日的動向
教育基本法の改定
政治主導の教育改革
教育政策のゆくえ
むすび 「制度としての教育」の次へ
註
主要参考文献一覧
あとがき
図版出所一覧
索引 巻末