語りの断層 ドイツ゠ポーランド国境地帯の文学
価格:5,720円 (消費税:520円)
ISBN978-4-7985-0328-8 C3098
奥付の初版発行年月:2022年03月 / 発売日:2022年03月中旬
本書は、国境線が幾度も引き直され、民族・文化・言語の混成が進んだポーランド北部・西部国境地帯が、社会主義末期ポーランドからドイツ連邦共和国へ移住した人々の文学において、いかに表象されうるかを論じている。研究対象とするのは、1950年代半ばから60年代、旧ドイツ領にあたるポーランド北部・西部国境地帯に生まれ、ポーランド語を母語とする人々である。冷戦末期の1980年代ポーランドから西ドイツへ移住した彼らは、冷戦終結後、各人各様に移動と定住を繰り返しつつ、ドイツ語ないしポーランド語で創作に従事している。
周辺の列強諸国による支配を受け19世紀という時代に国民国家を持つことを許されなかったポーランドでは、亡命知識人が、ポーランド語による文化活動や創作を通してポーランド民族の歩むべき道を示す、という伝統があった。20世紀になると、ポーランドからの亡命は多様化し、規模も拡大した。パリやロンドンといったポーランド亡命文化の拠点は、在外作家同士の連結点として機能し、良質の文学作品を発信することでポーランド語圏の文化や文学全体をけん引する役目を負った。しかし、ポーランドと歴史的文化的に分かちがたく結びつき、地理的にも近いドイツには、国交正常化条約の締結、労働組合「連帯」の活動を弾圧した戒厳令の施行、東西の冷戦終結、ポーランドの欧州連合加盟などを契機に、ポーランドから政治的亡命者、経済移民、ドイツ系帰還者といった様々な集団が流れ込んだ。そのため、ポーランド人コミュニティの雑種化が進み、伝統的な亡命文化・文学のモデルに当てはまらない文化活動が展開した。本書では、1990年代から2000年代初頭のドイツで繰り広げられたポーランド移民による文化活動を通して、その特徴を明らかにしている。
また、本書では移民作家による文学作品の分析に多くの頁を割く。従来、彼らの文学は亡命文学と対比され、「稼働移住の実態を描く写実的な文学」とされてきた。しかし本書では、①ドイツ・ポーランドにまたがる地域の固有性、②1981年の戒厳令から体制転換を経て2004年に至るまでという時代性、③一人称体という語りの形式、という三つの観点から考察することによって、移民作家の文学の成立から発展の経緯を明らかにするとともに、彼らが時代や環境の変化の影響を受けながらテーマ・題材・手法を変化させてきたことを明らかにした。最終的には、彼らの文学における「国境地帯」が、地理的空間としてではなく、ヨーロッパ東西陣営の視線が交錯する過酷な生活空間、個人の内的分裂の投影先、文学的想像空間といった異質な場の総体として、多層的かつ多角的に表象されていることを示した。彼らの文学の中では、そうした様々なイメージが複数折り重なるように存在しており、境界の種類もその引かれ方も一様ではない。時には文学的想像力を駆使して、時には現実と斬り結びながら、境界というモチーフを変幻自在に操るところに、移民の文学の特徴があると考える。
ドイツ=ポーランド国境地帯の文学を代表する作家には、ダンツィヒのドイツ語作家ギュンター・グラスやシレジアのポーランド語作家オルガ・トカルチュクがいる。本書は、そうした作家たちを含む国境地帯の人々を、ディアスポラの流れを汲むものとして捉える一方で、移民の視点から国境地帯を描くとはどういうことか、という問いを探求する。その意味で、本書は国境地帯の文学の研究に寄与するのみならず、ディアスポラ文学の研究への足がかりとなる。
なお巻末には、本書で取り上げた移民作家のうちの4名に対するインタビューも掲載されている。
井上 暁子(イノウエ サトコ)
東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(文学)。
熊本大学文学部准教授(比較文学)。専門はポーランド語圏を中心とした中東欧文学。
主要著書:『東欧文学の多言語的トポス』(編著,水声社,2020年),『ヴァイゼル・ダヴィデク』(訳書,松籟社,2021年)ほか。
目次
序 章 「移民/移動者の文学」とは
第1章 亡命文学からの離脱
第1節 ポーランド亡命文学におけるドイツ
第2節 西ドイツの在外ポーランド人コミュニティ
第3節 リアリズムとの闘い
第4節 多様化するアイデンティティ
――ポーランド語文芸誌Bundesstraße
第5節 ポーランド人失敗者クラブ
第2章 「ドイツ=ポーランド国境地帯の文学」への合流
第1節 「小さな祖国の文学」から「プライベートな祖国の文学」へ
第2節 亡命者でもなく移民でもなく
第3節 ノスタルジーの超克(1)
第4節 ノスタルジーの超克(2)
第3章 既存のディスクールへの挑戦
第1節 意地の悪い本歌取り
第2節 可変するアイデンティティ
第3節 標準語に対するコロニアルな闘い
第4章 脱臼する一人称体
第1節 日記・書簡体の応用
第2節 異質な諸要素の並置・対照
第3節 多層化する語り
終 章 移民/移動文学が照らし出す国境地帯
〈付録〉 作家インタビュー
1 クシシュトフ・マリア・ザウスキ/2 クシシュトフ・ニェヴジェンダ
3 ヤヌシュ・ルドニツキ/4 ダリウシュ・ムッシェル
作家インタビューに寄せて
あとがき
注
参考文献
関連年表