「大東亜戦争」はなぜ起きたのか 汎アジア主義の政治経済史
価格:11,000円 (消費税:1,000円)
ISBN978-4-8158-0952-2 C3021
奥付の初版発行年月:2010年02月 / 発売日:2019年05月下旬
なぜ日本は「アジア解放の聖戦」という理念を掲げながら、アジア諸国を植民地とし侵略したのか。本書は、これまで誰も正視してこなかった松井石根と大亜細亜協会を中心とする汎アジア主義の視角から、「大東亜戦争」への道を読み解く。植民地との連動やグローバルなヒト・モノの動きも含め、首相・大将・博士から最底辺の労働者に至るまで、日本社会を戦争へと導いたものを初めてトータルに把握し、新たな歴史像を提示した渾身の力作、復刊!
※価格改定のためISBNを新たに取得して出版いたします。
現在東アジアではアジア共同体論や相互貿易協定が論じられる一方、戦後賠償問題や植民地責任・戦争責任などに関わる歴史認識が政治問題化し、それに対する回答や説明が求められています。
そのような中で、とくに近年、ジャーナリズムや論壇において、東京裁判や昭和の歴史、そして「大東亜戦争」そのものを問う企画が増加していますが、その多くは今までの繰り返しであり、新たな視角からの歴史像を求める声がいっそう高まっています。
なぜ日本帝国は「アジア解放」の「聖戦」という理念を掲げながら、アジア諸国を植民地とし侵略していったのか?――この本は、「汎アジア主義」を軸に据え、敗戦以来65年間誰も触れることのなかった戦争の核心に初めて光をあてた著者渾身の力作です。著者はこれまでにも刺激的な知見を国内外に向けて発信してきており、今や研究者はもちろん、田原総一郎氏ら第一線で活躍するジャーナリストもその仕事に注目しています。
最先端のユニークな、しかし実証的な研究であり、これまでの通説を覆し歴史研究における新たな知的インフラとなるとともに、必ずや国内外に向けて広く議論を喚起することでしょう。
一 「さきの大戦」をどう説明するか
一九四一(昭和一六)年一二月八日未明、日本帝国陸軍はマレー半島のコタバルに上陸し、その一時間後の日本時間午前三時、海軍がハワイの真珠湾に対する攻撃を開始した。同日、米英両国に対して宣戦の詔書が出され、一二月一二日の閣議は、この戦争の名称を、それ以前からの宣戦なき戦争であった「支那事変」に遡って「大東亜戦争」とすることを正式に決し、情報局は「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す、大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味に非ず」と発表した。宣戦の詔書に記された「大東亜戦争」の戦争目的は、「東亜ノ安定」の確保と「自存自衛」であり、四五年八月一四日に出された終戦の詔書には、「帝国ノ自存ト東亜ノ安定」に「東亜ノ解放」が加わった。
昭和天皇は、戦後、「大東亜戦争」や「太平洋戦争」という呼称を決して使わず、戦没者追悼式などにおいては「さきの大戦」、記者会見の時には「第二次世界大戦」という表現を用いていたという。それは、天皇なりの政治的判断によるものであった。それでは、天皇自身は、この戦争を何に起因するものと考えていたのであろうか。昭和天皇は敗戦直後、東京裁判に備えて側近らに語った独白録の冒頭で、「大東亜戦争の遠因」をこう語っている。
……
[「序論」冒頭より/注は省略]
松浦 正孝(マツウラ マサタカ)
1962年 東京都に生まれ、神奈川県で育つ
1985年 東京大学法学部卒業
1992年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
東京大学法学部附属近代日本法政史料センター助教授、北海道大学公共政策学研究科連携研究部教授などをへて
現 在 立教大学法学部教授、北海道大学名誉教授、博士(法学、東京大学)
著 書 『日中戦争期における経済と政治』(東京大学出版会、1995年、吉田茂賞)
『財界の政治経済史』(東京大学出版会、2002年)
『昭和・アジア主義の実像』(編著、ミネルヴァ書房、2007年)他
目次
凡 例
序 論 「大東亜戦争」はなぜ起きたのか
―汎アジア主義という視角―
1 「さきの大戦」をどう説明するか
2 「大東亜戦争」という呼称をめぐって
3 「アジア主義」という難問
4 「アジア主義」に関する簡単な整理と本書の構成
第I部 アジア主義の源流と展開
第1章 アジア主義の源流
1 日本近海を通じた朝鮮半島・中国大陸との関わり
2 薩摩閥と佐賀閥を中心とするアジア主義の動き
3 東アジアにおける中央統制の打破と連邦制確立の模索
4 アジア主義の始祖としての西郷隆盛
小 括
第2章 戦前日本に見られるアジア主義の三類型
1 「小日本主義」
――「旧外交」的な三浦銕太郎から「新外交」的な石橋湛山・吉野作造へ
2 「大日本主義」から「大亜細亜主義」へ――宇都宮太郎から松井石根へ
3 「中帝国主義」――荒尾精、そして財界提携による戦争抑止論
小 括
第3章 「島国」から「海の帝国」へ
―長崎・大連・神戸―
1 1926年・長崎
2 1934年・大連
3 1939年・神戸
小 括
第II部 「大東亜戦争」への転変をもたらした帝国要因
第4章 高橋財政下における帝国経済再編と体制間優位競争の始まり
―日本帝国における汎アジア主義の政治経済的基盤―
1 宇垣総督下朝鮮の政治経済的変化
2 満州における政治経済的変化
3 台湾における政治経済的変化
4 高橋財政下日本におけるナショナリズムの昂揚
小 括
第5章 汎アジア主義における「インド要因」
―高橋財政下の帝国経済再編とディアスポラによる反英の論理―
1 日印通商問題の発生まで
2 日印通商関係の拡大と通商摩擦の発生
3 「インド要因」の政治的活性化
4 日中戦争による汎アジア主義の高揚
小 括
第6章 汎アジア主義における「台湾要因」
―両岸関係をめぐる日・英中間抗争の政治経済史的背景―
1 植民地台湾・台湾人をめぐる日中間競争
2 対福建関係
3 対広東・広西関係
4 対西南・フィリピン工作の失敗と英国の対中進出
5 日中戦争と汪兆銘政権
6 孫文の大アジア主義演説と汪兆銘
小 括
第7章 汎アジア主義における「朝鮮・大陸要因」(1)
―露帝国・ソ連及び中国に対する対抗ネットワークの生成―
1 満州事変による軍部内権力構造の変容
2 汎アジア主義者としての林銑十郎と「イスラーム要因」
3 陸軍部内における松井石根
第8章 汎アジア主義における「朝鮮・大陸要因」(2)
―「満洲国」成立による汎アジア主義の変質―
1 宇垣総督期における救民政策から鮮満工業化への転換
2 南総督期における鮮満一如・内鮮一体政策と農工併進政策
3 朝鮮における労務問題としての汎アジア主義
4 「満洲国」成立に伴う植民地朝鮮の対ソ最前線基地としての性格緩和
5 汎アジア主義の拠点としての朝鮮と日本海湖水化構想
6 日中戦争の行き詰まりと「朝鮮・大陸要因」の矛盾の顕在化
小 括
第III部 松井石根と大亜細亜協会の活動
第9章 「大東亜戦争」と大亜細亜協会及び松井石根
1 松井石根はどう扱われてきたか
2 満州事変に至るまでの松井石根
3 満州事変とジュネーブ軍縮会議による衝撃
4 文化・思想運動としての大亜細亜協会の設立
5 松井の「支那通」から「汎アジア主義者」への変貌
6 台湾を拠点とした松井による汎アジア主義運動の推進
第10章 日中戦争と松井石根
1 日中戦争の勃発と松井石根司令官の登場
2 中国現地における松井司令官の戦争指導と対外態度
3 松井司令官の占領地工作と戦後中国統治構想
4 松井司令官の挫折と更迭
第11章 「イデオロギー・ネットワーク」としての大亜細亜協会
1 「イデオロギー・ネットワーク」という枠組み
2 海外における大亜細亜協会のネットワーク
3 大亜細亜協会成立と同時期における外務省内の変化
4 国内における組織化
5 軍人ネットワーク及び地方行政組織
6 知識人・文化人ネットワークによる教化
7 実業・経済ネットワーク
第12章 日中戦争の膠着と大亜細亜主義運動の昂揚
1 日中戦争収拾の失敗と「長期建設」への移行
2 天津租界封鎖と反英運動の昂揚
3 反英運動の昂揚の結果としての大亜細亜協会の政治団体化
4 大亜細亜協会の誤算
5 「大東亜戦争」と大亜細亜協会
補 論 日中情報宣伝戦争
1 「田中上奏文」による中国側の抗日宣伝
2 「日本通」王芃生による抗日宣伝工作
3 中国側抗日宣伝が日本側に与えた影響
結 論 汎アジア主義の結末
1 汎アジア主義による英国圧迫路線と対米戦争
2 戦犯容疑者リストと汎アジア主義者
終 節
註
あとがき
事項索引
人名索引