製作の現場から
27 人生いろいろ 編集者もいろいろ
■もう何十年にもわたって、さまざまな書類の職業欄には「編集者」と記してきた。「編集者とは何か」の議論が好きな人に言わせれば、僕など編集者の内には入らないのかも知れないが、仕事の内容がかなり曖昧であっても、自分が編集者であると宣言すれば通用してしまうのがこの職業の値打ちである。何たって免許はいらないのだ。
■僕のことはさておき、一口に編集者と言っても、いろいろなタイプがあるように思う。企画の面で言えば、攻撃型と受身型だ。攻撃型とは、とにかく喋りまくり、著者を自分の土俵に引き込んで、自分が書かせたいものを、相手にも書く気にさせてしまうタイプである。それに対して受身型は、相手の話を引き出し、その中から、相手が本当に書きたいものは何かを見つけだすタイプといえよう。
■どちらが正しいか、という問題ではない。時の話題を追いかけて、急いで本にしなければならないとしたら、攻撃型でなければ通用しないだろう。しかし、大学出版部のように、きわめて専門的な内容の本であれば、まずは書き手自身が、その研究に、その著作に、どれほどの情熱を持っているかを感じ取ることが編集者には求められるのだろうと思う。編集者はそれぞれの学問の専門家ではないし、専門書の場合、「ないものねだり」は不毛であり、許されないのだ。
■製作実務の面で言えば、校正型と割付型がある。校正型は、正字と俗字の区別、送り仮名の統一などには気をつかうが、表組みのレイアウトは、「文字10級、罫線はオモテ」程度で済ませてしまったりする。これに対して割付型は、正字と俗字の混在などはさほど気にしないが、表組みは一こまごとの幅、罫線とのアキまで、厳密に計算して指定しないと気が済まないタイプである。本文中の引用にしても、校正型は「二字下げ」と書いてすましているが、割付型の人間にとっては、本文13級の二字下げなのか、引用文12級の二字下げなのか、半端は字割で処理するのか、ケシタを空けるのか、考え始めると夜も眠れなくなってしまう(ウソです)。
■僕もどちらかと言えば割付型の人間に属する。したがって校正は得意ではない。写真のトリミングなどをやっていれば、どんなに時間がかかっても苦にはならないが、校正を始めると頭痛が始まり、ついで強烈な睡魔に襲われる。しかし、校正も仕事の一部であることには間違いないのだから、「俺は割付型だ、文句あっか」と、居直るわけにも行かない。いまさら遅いかも知れないが、校正を得意とする人たちに学ぶ必要はあるだろう。そしてたぶん、校正について学ぶということは、校正の「面白さ」を学ぶということなのだろう。結局の所、面白くなければ何をやったってダメなのだ。
■では、プロの校正者たちは、いったい何が面白くて校正という仕事をやっているのだろうか。それを知るための格好のリーフレットがある。日本校正者クラブ機関紙『いんてる』がそれである(年三回発行)。インテルとは、活版の時代に、活字の列と列の間に行間として挟んだ金属製あるいは木製の板のことをいう。おそらく、校正という仕事の「合間」というような意味で名付けられたものだろう。
■執筆者は、エディタースクールの講師を務める校正者で、辞典研究家としても知られる境田稔信氏、新潮社校閲部の小駒勝美氏が中心だが、それ以外の執筆者を含めて、このリーフレットからは、校正という仕事の奥深さ、そして面白さが伝わってくる。一般には手に入りにくいリーフレットなので、次回はその内容について、もう少し詳しく紹介したいと思う。
(更生者)
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