製作の現場から
30 デジタル世界の職人たち
■今、「職人」が注目されているようだ。バブルの時代に「ものづくり」を軽視した反動なのだろうか。それとも、身の回りから職人らしい職人が消えてしまったことによる感傷的な反応なのか。確かに、住宅建設の現場でも、働いているのは職人というよりはむしろ、あらかじめ工場で裁断された部材の組立工に近く、見ていて面白くない。
■ましてやデジタルの世界となれば、「技術者」はいても「職人」は存在しないと考えるのが一般的な認識だろう。組版の現場でも、活版時代の「職人」の多くはリタイアし、専門学校やDTPスクールで学んだ「オペレーター」たちが取って代わった。彼らを「職人」とは言い難い。なぜなら良い意味での「職人」という言葉には、自分の仕事に妥協しない頑固さといった性格的な意味に加え、伝統的な「技」の継承という条件が言外に含まれているからだ。「技」を継承するには、技術革新の生み出した溝はあまりにも深かったと言える。
■しかし、それはあくまでも一般論だ。コンピュータも、所詮は道具にすぎない。大工の鉋、左官屋の鏝、植木屋の鋏と変わるものではない。どんな時代にも職人気質、職人魂を持った人たちは存在するはずだし、どんなに若くても、経験が浅くても、温故知新を実践している人たちはいるだろう。そういう人たちが存在する以上、デジタルの世界にも「職人」は生まれ得る。
■ある日、ネットサーフィンをしていて、以前、この欄でも紹介したことのある鈴木努氏が創業したフォント制作会社・字游工房のウェッブマガジン
「文字マガ」(http://www.jiyu-kobo.co.jp/webpage/mm/mojimaga.html)に出合った。巻頭には連載インタビュー「文字の巨人たち」が掲載されている。
■第一回は橋本和夫氏。橋本氏は活版の活字製作会社モトヤを経て、写研で石井宋朝体の制作にたずさわり、本蘭明朝体の監修および仮名のデザインを担当されたという。
■第二回は小塚昌彦氏。小塚氏は毎日新聞の活字母型の制作を皮切りに、同社のCTSフォントのデザイン開発を担当し、モリサワを経て、アドビシステムズで小塚明朝・小塚ゴシックを開発された方である。
■どちらも活版の時代にスタートしながら、デジタルフォントの世界でも一家をなした方々である。とりわけ明朝体という、伝統的な文字の改良に大きな役割を果たされた。オフセット適性を考慮した本蘭明朝は写研の本文書体として定番の位置を占めているし、毎日新聞明朝もファンは多い。小塚明朝も好き嫌いはあるにせよ、デジタル時代の明朝はどうあるべきかという、一つの提言であることは間違いない。お二方が「職人」と呼ばれるのを良しとするかどうかはわからないが、明朝体という伝統を継承し保持しながら、細部の一点一画にこだわり、時代と技術の変化を取り入れて改良する地味で根気のいる作業は、本物の「職人」でなければできることではないと思うのである。
■さて、このコラムもいささかマンネリになってきた。そろそろ若い人にバトンタッチしたいと思う。たかだか三十回とはいえ、期間は丸々11年に及んだ。この間、製作の技術と道具は革命的な変化を遂げた。もともと作文嫌いの僕が何とかこのコラムを書き続けられたのは、新しい技術に対して、知識も理解力も持たないながら、興味だけは持ち続けられたおかげである。これからも、好奇心だけは失いたくないと思っている。
■愛読してくださった皆さん、ありがとうございました。
(法政大学出版局・秋田公士)
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