製作の現場から

17 あなたの宝を洞窟へ



▼『インターネットはからっぽの洞窟』という本がある(クリフォード・ストール/倉骨 彰 訳/草思社)。ただし、原著のタイトルはSilicon Snake Oil.「訳者あとがき」 によれば、snake oil とは似非薬のことだそうだから、日本流に言えば「ハイテク時代の蝦蟇の油」とでも訳すべきところだろうか。

▼これだけインターネットが普及し、日夜話題になっている現状からすれば、当然、それに反発する人も増えてくる。「からっぽの洞窟」 は、そうした人たちに狙いを定めた、見事なネーミングと言わざるを得ない。批判的ながら、さすが「タイトルの草思社」ではある。

▼しかし、このタイトルは誤解を招く。著者自身が本文中で使っている言葉(原文は見ていない) だから、必ずしも不適切ではないのかも知れないが、「からっぽの洞窟」 という言葉からは、無意味・不毛といったイメージしか思い浮かばないだろう。それは、著者の意図とは異なる。

▼著者は「はじめに」の中で、次のように書いている。

 僕はインターネットの入り口に立った人を追い返すつもりはないし、インターネットの恩恵にこうむれるのは自分だけだと言いたいわけでもない。……僕はインターネットがアメリカの津々浦々、アメリカじゅうの家庭に普及する日を心待ちにしている。

▼つまり著者は、インターネット自体を否定しているわけではない。むしろ逆だ。それがメディアにすぎないことを強調したかっただけだろう。中味がなければ「からっぽ」 だし、ゴミを入れればゴミ箱ともなる。しかしそれは同時に、宝石箱にも、千両箱にもなり得るということだ。

▼それは、どんなメディアでも同じだ。どんなに厚くても、中味が「からっぽ」 の本はいくらでもあるだろう。インターネットだけが特別なわけではない。

▼インターネットが他のメディアと決定的に違うのは、自ら発信できることにある。誰もがテレビ局を持てるわけではないし新聞社を経営できるわけでもない。自分の書いた小説や論文が出版されるには、才能に加えて僥倖が必要だ。ミニコミぐらいなら可能だとしても、それだってかなりの金がかかる。インターネットなら、たいした金もかからず、はるかに広い範囲に発信することができる。

▼あまりにも簡単だから、雨後の筍のごとく個人ホームページが誕生する。(僕自身のHPも含めて)その大半はゴミかもしれない。だが、それを否定してしまったら、インターネットの価値と魅力は半減するだろう。ゴミの中から、千に一つ、あるいは万に一つ、従来のメディアでは掬いあげられなかった作品が、見るべきアイディアが誕生するかも知れない。少なくとも僕は、そう期待したい。

▼大学出版部協会・編集部会では昨年十二月の月例勉強会に、「青空文庫」の提唱者・富田倫生氏をお招きした。「青空文庫」とは、インターネット上の私設電子図書館の試みである。富田さんは、自分が書いた本を何部かまとめて購入しようと思ったとき、すでに断裁されてしまっていたという経験から、このプロジェクトを始められたという(『出版ニュース』年月下旬号参照)。従来の「出版」の限界を越える試みの一例として紹介しておきたい。インターネットでなければ不可能なことだ。

▼さまざまなインターネット批判を聞いていると、大体において「受け身」の発言であることに気づく。誰もがホームページを持つべきだとまでは思わないものの、テレビや新聞のように、一方的に与えられるメディアではない、という認識だけは持つべきだろう。「からっぽ」だと思うなら、「ろくな情報は得られない」 と批判するなら、あなたにとって価値ある情報を、洞窟に運び込んでほしい。(穴居人)


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