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製作の現場から
18 活版時代の文字コード
▼日々のルーチンワークに疲れると、ふと旅に出たくなる。待ってる「こいさん」はいなくとも「包丁一本 晒に巻いて」旅に出られたらどんなにいいだろう。とはいえ、技術らしい技術を持たない編集者稼業では残念ながら、「赤ペン一本 晒に巻いて 旅に出たなら 野垂れ死に」ということにもなりかねない。
▼しかし、われわれの仕事と密接に関連する印刷業界には、かつてそういう世界があった。いわゆる「渡り」の活版職人である。彼らは一定の印刷所に居着くことなく、気が向けば旅に出て、全国どこの印刷所でも働くことが出来た。出版文化が日々伸張してゆく時代にあって、熟練した職人が不足していたということもあるだろう。しかしそれと同時に、彼らが職場を転々とすることが出来たのは、現在のJISコードに相当するような文字の体系が、活版の時代にも存在したからに他ならない。
▼それは活字棚の配列である。文撰工は棚に書かれた文字を見て活字を探すのではない。ましてや活字の字面を確認したりはしない。目は原稿の文字を追いつつ、手を伸ばせばそこに目的の活字がある。つまりブラインドタッチだった。
「活字棚の構造・並びは、全国どこにいっても、ほぼ同じになっているという。そういうシステムが確立していたからこそ、活版職人は自分の仕事に誇りをもち、ある種の自由を謳歌できた…」(松田哲夫『本とコンピュータ』二号)。
▼現在、JIS第三・第四水準の制定が進められている。コンピュータという文撰工の体位が極度に向上して、活字棚を大きくしても、手が届くようになったからである。そこで大学出版部協会では、夏季研修会にJISコード委員会の委員長である芝野耕司先生をお招きして講演を聞いた。その場では特別の質問も異議も出なかったのだが、懇親会の席では、国民総背番号制と勘違いしているのではないかと思われるような、コード化への感覚的な反発も耳にした。
▼おそらく、JISそのものに対する誤解がある。JISは工業規格であって法律ではない。法律ではないから、第三・第四水準が制定されたからといって、表外字が使えなくなるわけではない。「鯨尺を売ってはいけない」 というのとは違う。 現に印刷所には、JISにない文字がいくらでもある。そしてコード化もされている。問題なのは、それが印刷所やシステムごとに、異なるコード体系によって配列されているということだ。
▼現在のパソコンは、マックであれウィンドウズであれ、ドイツ語やフランス語のアクセントを打つことが出来る。ところがこれをテキストに落とすと見事に文字化けする。第一・第二水準では足りないから、苦労して作字してくる著者もいるが、当然これは化ける。ワープロに入っている記号類は、各社好き勝手に配列しているから、これまた化ける。A社で組んだデータを使ってB社で文庫に組み直したら、化ける可能性がある。
▼このような不合理は一日も早く改善されなければならない。「デジタル化によるテキストの共有」という大きな目標はさておき、著者も編集者も印刷所も、JISに登録されていない文字・記号類があまりにも多いために、無駄な努力を強いられていることだけは間違いないのだ。
▼JISに登録するための字体の 「包摂」 規準について、 議論が沸騰していることは承知している。それについて述べるほどのスペースも見識もないが、必ずしも国語学者や漢学者が中心になって決めるべきだとは思わない。活字棚の配列は、学者が決めたわけではなく、職人の経験と必要性から生み出されたものだ。工業規格としてのJISの性格からしても、印刷所や出版社が先頭に立って考えるべき問題を学者だけの責任に帰すべきではない。(JIS 3D29 4544)
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