製作の現場から


25 西谷氏の本を叩き台に…



■ 僕らが子供のころ、「偉人」の代表者といえば発明王エジソンだった。しかし最近になって、その「発明」の多くはエジソンのオリジナルではなく、先人の基礎研究の応用や、別人の発明の改良に過ぎないといわれることが多くなった。とはいえ、応用や改良に価値がないかといえばそうではあるまい。実用化され、誰もが使えるようになってはじめて、その「発明」は意味を持つのだから…。
■ 前号で「タグ」氏が取り上げ、僕も簡単に触れた西谷能英氏の『出版のためのテキスト実践技法[執筆編]』はおおむね好評のようだが、一方では批判もある。たとえば前田年昭氏は、
専用ワープロ全盛の時期から現在のパソコンにおけるワープロソフトの時期にいたるまで、組版・印刷業の現場ではMS-DOSテキストファイルを介して互換をとるようほぼルール化され、ほぼ二〇年近く経つ。いまさら「出版業界初の提言!」「革命的テキスト技法」(帯)という、どこに新味があるというのだろうか。
とウェブ上で発言している。
■ じつは僕自身、『朝日新聞』の紹介記事を読んだときには、「どこが革命的なのか」という印象を拭えなかった。しかしよく考えてみると、この本はかなり革命的なのである。「革命的」は言い過ぎだとしても「新味」はある。確かに「組版・印刷業の現場で」テキスト処理の方法がルール化されていることは事実だろうが、出版界では、とりわけ人文系の執筆者と編集者の間では、ルールなど何もないに等しい。そしてこの本は、主としてその、「人文系の執筆者」を対象に書かれた本なのだ。
■ これまで、デジタルテキストの扱いについて、人文系の執筆者を対象に書かれた本はあまりなかったように思う。各社それぞれのマニュアルのようなものはあるだろうし、僕自身書いたこともあるが、それを市販して、出版界共有の財産にしようという発想があっただろうか? 西谷氏の主張は、「発明」ではないけれども、すぐれた「応用」であり「啓蒙」なのだ。
■「編集者がパソコンをいじりはじめると企画がおろそかになる」などという、いいかげん聞き飽きた反論もあるが、企画だけをやっていればいい編集者など、日本にどれだけいるのだろうか。編集者が割付をし、校正を読み、時には装幀まで手がけるのが、中小・零細出版社ではむしろ普通のことだ(しかも、出版社というのはほとんどが中小・零細なのである)。そのための道具として、パソコンが役に立つのであれば、積極的に使えばいい。そして、どうせ使うのなら、より効率的な使い方を考えることが悪いはずはない。
■ 著者にしても同じである。たとえチラシの裏に手書きしてあっても、本当に必要な原稿であれば拒否する出版社はないだろう。しかし、せっかくワープロやパソコンを使うのなら、後々の処理が楽な方がよい。しかも、西谷氏が主張する、テキストエディタによる執筆は難しいことではない。一太郎やWORDのような高機能のワープロソフトを使うよりも、はるかに楽で、費用もかからないのだ。
■ 西谷氏が書いている原稿記述上の約束事は、必ずしも一般性があるとはいえない。また、僕としては疑問を感じる箇所がないでもない。しかし大事なのは、このような試案が公開の場に提示されたということだ。それを切って捨てるような発言は非生産的である。西谷氏の本を叩き台として、出版業界と印刷業界の双方に常識として(打ち合わせや説明抜きで)通用するテキスト処理のマニュアルが誕生することを期待したい。
(不労平)



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